新人間革命 雌伏(58)|2017年6月1日
長田麗は、宗門による学会批判が激しさを増した時、地元寺院の住職の妻から呼び出された。学会の悪口を聞かされ、宗門につくのか、学会につくのかを迫られた。
彼女は、毅然として言った。
「私たちに信心を教えてくれたのは学会です。私たちを励ましてくれたのも、山本先生であり、学会です。宗門ではありません!」
奄美に脈打つ、「スットゴレ!」(負けてたまるか!)の敢闘精神は、次代を担う若き世代に、しっかりと受け継がれていたのだ。
山本伸一の会長辞任は、奄美の女子部員にとっても、衝撃的な出来事であった。
長田は、皆に訴えた。
「今こそ私たちは、創価の勝利を打ち立てて、東京へ、創価女子会館へ、山本先生のもとへ行きましょう!」
彼女は、女子部員の激励に、島から島へと走った。ひとことに奄美大島地域本部といっても、その範囲は広い。有人島だけでも、彼女の住む奄美大島をはじめ、八島がある。奄美大島からは、徳之島まで船で三時間、沖永良部島まで五時間半、与論島までは七時間もかかる。こうした島々で、広布の誓いに燃える若き女性リーダーたちが、はつらつと正義と希望の行進を開始したのだ。
どんなに地理的に遠い地域にいても、広布に進む師弟に心の距離はない。広大な海も、峨々たる山々も、師弟の心を引き離すことはできなかった。その魂の絆は、むしろ、強く、深く、結ばれていったのだ。
一九八〇年(昭和五十五年)二月十七日午後、二台のバスに分乗した奄美大島地域本部の女子部員が、山本伸一のいる東京・立川文化会館に到着した。メンバーは、奄美大島、加計呂麻島、徳之島、沖永良部島から参加した総勢八十六人である。
奄美の女子部として未曾有の弘教に挑戦し、勝利の歴史を開いて集ってきた法友の顔は、晴れやかであった。戦う人は美しい。その生命には、歓喜の光彩があるからだ。