新人間革命 大山 の章
漆黒の空が、次第に紫に変わり、うっすらと半島の稜線を浮かび上がらせる。やがて金の光が東の空に走り、海はキラキラと輝き、さわやかな五月の朝が明ける。 五月五日、山本伸一は、神奈川文化会館から、夜明けの海を見ていた。この日は、「こどもの日」で国…
山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。 横浜に…
法主・日達をはじめ、僧たちを送った山本伸一は、別室に入ると、妻の峯子に、和紙と硯、墨、筆を用意してもらった。創価学会の歴史に大きな足跡を刻むであろうこの日の、わが誓いと、弟子たちへの思いを、書として認めておきたかったのである。 既に揮毫の文…
山本伸一のあいさつに与えられた時間は、十分にも満たなかった。 これまで本部総会では、伸一から広宣流布の遠大な未来構想や希望の指針が示され、また、社会、世界の直面するテーマに対して解決の方途を示す提言が発表されることも少なくなかった。さらに、…
山本伸一は、日本の広宣流布の揺るぎない基盤をつくり、各国・地域に仏法の種子を下ろし、幸福の緑野を世界に広げてきた。 学会の組織の布陣も、高等部、中等部、少年・少女部を誕生させ、広範な文化運動を推進するために、教育・国際・文芸の各部も設置した…
山本伸一の落ち着いた力強い声が、場内に響いた。 「私は、十九歳で信仰いたしました。以来、今日まで約三十年間、病弱であった私が入院一つせず、広宣流布のために戦ってくることができました!」 そして、それこそが、御本尊の威光の証明であることを訴え…
この日の総会には、いつもの学会の会合に見られる、あの弾けるような生命の躍動も歓喜もなかった。広がる青空とは裏腹に、暗鬱な雲が皆の心を覆っていた。 運営にあたる幹部らは、僧たちを刺激するまいと、腫れ物に触るように、彼らの顔色に一喜一憂していた…
山本伸一は、前年の一九七八年(昭和五十三年)七月三日、男子部歌「友よ起て」を作詞・作曲して、後継の青年たちに贈った。 〽広布のロマンを 一筋に 打てよ鳴らせよ 七つの鐘を やがては誉れの 凱歌の世紀 花に吹雪に 友よ起て その歌詞にあるように、「七…
山本伸一は、しみじみと思うのであった。 “戸田先生は、私という一人の真正の弟子を残した。全生命を注ぎ尽くして、仏法を、信心を教え、万般の学問を授け、将軍学を、人間学を伝授し、訓練に訓練を重ねてくださった。また、先生の事業が破綻し、烈風に立ち…
一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。 正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて 父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討死せん いましはこ…
戸田城聖の目は、広宣流布の未来を見すえていた。その未来へ、創価の魂の水脈を流れ通わせるために、彼は、山本伸一という一人の弟子に、後継者として一切を託そうとしていたのである。 伸一には、その師の気持ちが痛いほどわかった。戸田は、再確認するよう…
学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。 山本伸一は、強く自分に言い聞かせた。 “断じて、人材の大河を開いてみせる!” 彼は、一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、恩師・戸田城…
法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。この仏は、一人を指すのではない。最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といった。そして「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」(法華経五五六ページ)と記されてい…
山本伸一は、静岡研修道場で、世界の平和を推進するために、各国の指導者、識者らとの今後の交流や、文明・宗教間の対話をいかにして進めるべきかなど、深い思索を重ねていった。また、その間に、学生部や婦人部、地元・静岡県の代表とも懇談の機会をもち、…
最後に十条潔は、胸の思いをありのままに語っていった。 「私自身、山本先生のこれまでの指導を深く心に刻み、模範の実践を展開していくとともに、組織の最前線で戦ってこられた皆さんから、信心を学んでまいります。 したがって、どうか会長だからといって…
新人間革命 大山(53)山本伸一に続いて、最後に新会長の十条潔がマイクに向かった。彼は、率直に自身の心境を語っていった。
山本伸一の言葉には、次第に熱がこもっていった。 「広布の旅路には、さまざまな出来事がある。変遷もある。幹部の交代だって当然あります。そんなことに一喜一憂するのではなく、ひたすら広宣流布に邁進していくんです。それが学会精神ではないですか! 『…
本部幹部会で山本伸一は、新会長の十条潔の登壇に先立ってあいさつした。マイクに向かうと、皆、緊張した面持ちで凝視した。 「そんな怖い顔で睨みつけないで。新会長誕生のお祝いなんだから。それに、私も十九年間、会長として頑張ってきたんですから、笑顔…
激動の一夜が明けた四月二十五日――「聖教新聞」一面で、「“七つの鐘”を総仕上げし新体制へ」との見出しで、新会長に十条潔、新理事長に森川一正が就任し、学会は新体制で出発することが発表された。また、会長を辞任した山本伸一は名誉会長となり、併せて宗…
四月二十四日の夜更け、山本伸一は日記帳を開いた。この一日の出来事が、次々に頭に浮かび、万感の思いが込み上げてくる。 “本来ならば、二十一世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。県長会の参加者も皆、沈痛な表…
山本伸一が聖教新聞社を出て、自宅に向かったのは、午後十時前のことであった。 空は雲に覆われ、月も星も隠れていた。 これで人生ドラマの第一幕は終わったと思うと、深い感慨が胸に込み上げてくる。 すべては、広布と学会の未来を、僧俗和合を、愛するわが…
山本伸一は、記者団の質問に答えて、今後の自身の行動について語っていった。 「学会としては、世界の平和をめざし、仏法を基調として、さらに幅広い平和運動、教育・文化運動等を展開していきます。私は、その活動に時間をあて、行動していきたいと考えてい…
十条潔は、緊張した面持ちで新会長としての抱負を語った。 「山本第三代会長の後を受けまして、新しい制度による出発となりました。これまでに山本会長は、学会の運営は皆で行っていけるように、十分に指導してくださいました。これからも、学会の進み方に変…
県長会等のあとも、山本伸一は新宿文化会館にとどまり、彼の辞任にいちばん衝撃を受けている婦人部の代表と懇談して励ました。また、来客の予定があり、その応対にも時間を費やした。 夜には、創価学会として記者会見を行うことになっていたが、既に新聞各紙…
二十四日の総務会で制定された「創価学会会則」は、学会が宗教団体として、どのように宗教活動をしていくのか、また、どのように会員を教化育成していくのか、さらに、そのために組織をどのように運営していくのかなど、原則的な事項を定めたものである。つ…
会場の中央にいた男性が立ち上がった。まだ三十代の東北方面の県長である。彼は、県長会の参加者に怒りをぶつけるかのように、声を張り上げて訴えた。 「皆さんは、先生が辞任されるということを前提に話をしている。私は、おかしいと思う。そのこと自体が、…
山本伸一は、力強い口調で語り始めた。 「これからは、新会長を中心に、みんなの力で、新しい学会を創っていくんだ。私は、じっと見守っています。悲しむことなんか、何もないよ。壮大な船出なんだから」 会場から声があがった。 「先生! 辞めないでくださ…
県長会のメンバーは、十条潔の説明で、山本伸一が会長辞任を決意した理由はわかったが、心の整理がつかなかった。 十条は話を続けた。 「先生は、この際、創価学会の会長だけでなく、法華講総講頭の辞任も宗門に申し出られました。こちらの方は、宗門との間…
山本伸一の会長辞任は、あまりにも突然の発表であり、県長会参加者は戸惑いを隠せなかった。皆、“山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った。だから、十条潔から“勇退”と聞かされても、納得しかねるのだ。 宗門との…
未来を展望する時、社会も、学会も、ますます多様化していくにちがいない。したがって、山本伸一は、これまで以上に、さまざまな意見を汲み上げ、合議による集団指導体制によって学会を牽引していくべきであると考えていた。もちろん会長はその要となるが、…