人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 雌伏(60)|2017年6月3日

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山本伸一は、奄美の女子部員たちを、立川文化会館の玄関ロビーで迎えた。
 「やぁ、よく来たね! 遠いところ、ご苦労様! ゆっくりしていってください。
 お父さん、お母さんは元気かな。最も辛い、苦しい思いをしながら、広宣流布の道を開いてこられた奄美の方々のことを、私は決して忘れていません。お帰りになったら、くれぐれもよろしくお伝えください。
 みんなは福運があるんだよ。草創の同志が迫害と戦い、それこそ、命がけで学会の基盤をつくってくださった。その土台の上で、伸び伸びと、楽しく、学会活動に励めるんだもの。お父さん、お母さんの苦労、努力を、決して忘れてはいけないよ」
 伸一は、車イスに乗ったメンバーがいるのを目にすると、すぐに歩み寄り、声をかけた。
 「本当によく来たね! 待っていたよ」
 彼女は、徳之島から来た女子部員で、脳性麻痺のため、しゃべることにも、歩くことにも困難が伴った。しかし、“なんとしても、東京の創価女子会館に行きたい。山本先生と会って、広宣流布への誓いを新たにしたい”と決意し、懸命に唱題に励んできた。
 また、東京へ行くと決めてからは、言語訓練にも、歩行訓練にも力を注いだ。ゆっくりとなら単独歩行もできるまでになった。
 伸一は、力を込めて語った。
 「もう、大丈夫だ。必ず幸せになるよ」
 人は、病だから不幸なのではない。病があろうが、希望をいだき、挑戦の心を燃やし、自分に敗れなければよいのだ。彼女は、障がいに負けることなく、広宣流布の使命に生き抜こうとしていた。それ自体、既に自分に打ち勝っていることなのだ。信心とは挑戦の力だ。信心ある限り、前途に輝くのは、勝利と幸福の栄冠である。したがって伸一は、「必ず幸せになる」と断言したのだ。
 その女子部員は、伸一を見詰め、目に涙を浮かべて、大きく頷くのであった。
 やがて彼女は結婚もし、子宝にも恵まれ、夫妻で確かな幸の道を歩んでいくのである。

新人間革命 第17巻のあらすじ(各章要旨)

新・人間革命 第17巻の各章ごとのあらすじ(要旨)は以下のとおり。

本陣 あらすじ

「広布第2章」に入って初めての新年である1973年(昭和48年)「教学の年」が明けた。山本伸一は、「広布第2章」とは仏法を基調とした社会建設の時ととらえ、広宣流布の大闘争を決意する。この年は別名「青年の年」。伸一は、仏法の多角的な展開を担う、青年たちに強く訴えた。-- 師弟の道を歩め。社会に開く“遠心力”が強くなるほど、仏法への“求心力”が必要であり、その中心こそ師弟不二の精神だ、と。また、伸一が当面の大テーマとしていたのが、本陣・東京の再構築だった。1月に新宿、練馬の友を激励したあと、2月に入ると、まず中野へ。参加した中野の青年たちに、30年間、毎年集うとともに、メンバーで「中野兄弟会」を結成することを提案。

伸一の足跡は、2、3月にかけて、港、渋谷、世田谷、千代田、杉並、目黒、さらに多摩方面の第2東京本部へと及び、地域ごとの特色を大切にした激励を重ねる。ここに「東京革命」の烽火が燃え上がった。日本の政治・経済の中心である首都・東京で、難攻不落の大城を構築し、世界の立正安国の基盤を築く戦いが、伸一の手で着々と進められていったのである。

希望 あらすじ

“教育はわが生涯をかけた事業”と、創価教育に全精魂を注ぐ伸一は、4月11日、大阪・交野市に誕生した創価女子中学・高校(当時)の入学式へ。交野は、豊かな自然に恵まれ、古くは和歌等にもうたわれたロマンの天地である。伸一は自らこの場所を選び、1969年(昭和44年)に建設計画を発表して以来、最高の教育環境を整えるために、真剣に心を砕いてきた。

関西の学会員も、その伸一の心に応え、用地の草取りなど、喜び勇んで支援してくれた。そして迎えた入学式。 全国から集まった生徒たちに向かって伸一は、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことをしない」という信条を培うよう期待を寄せる。

式典終了後の語らいでは、帰りが遅くなる時は、家に電話を入れること、いつでも電話ができるように10円玉を持っておくことなど、具体的なアドバイスを行うのだった。伸一の限りない期待を強く感じ取った生徒たちも、通学途中に行き交う人々へのあいさつの励行や、最寄りの駅に花瓶と花を贈るなど、学園のよき伝統をつくるために努力を重ねる。こうした行動に、学園生への地域の信頼と共感が広がっていった。また、伸一は、多忙な行事を縫って学園を訪れ、生徒のなかに飛び込んでいった。

長男の正弘は、創価教育への父の志を受け継ぎ、創価女子学園の教員に。後に、伸一の二男、三男も創価教育に従事していった。創価女子学園は82年(同57年)、男子生徒を受け入れ、新スタート。女子生徒たちが真剣に取り組んだ「よき伝統」は大きく開花し、日本を代表する人間教育の城となっていく。

民衆城 あらすじ

「広布第2章」の大空への飛翔は、全同志の“信心のエンジン”を全開にする以外にない。4月から5月にかけて、伸一は一瞬の機会も逃さず、同志のなかへ飛び込んでいく。東京・荒川の同志と出会えば、瞬時に励ましの懇談会に。荒川は、57年(同32年)8月、伸一が夏季ブロック指導の最高責任者として、弘教の指揮をとった地であった。その前月、伸一は無実の罪により、大阪で不当逮捕された(大阪事件)。荒川の地は、学会と民衆を苦しめる権力の魔性への、反転攻勢の舞台となったのだ。

4月の本部幹部会では墨田へ。ここもまた、53年(同28年)、伸一が男子部の第1部隊長を務めた時、広布拡大に走り抜いた地だった。その激闘を振り返りながら、民衆勝利の方程式が、感動的に示されていく。伸一の東京各区の激励は続く。渋谷の後、生まれ故郷の大田へ、文京支部長代理時代に縁の深かった豊島へと、休みなく走った。

5月8日からは欧州へ飛んだ。フランスでは、「第三文明絵画・華展」やパリ大学へ。さらに、「ヨーロッパ会議」を設立する。英国へ渡ると、前年に引き続きトインビー博士と対談。帰国の途次には、経由地のオランダでメンバーを激励。希望の民衆城を築く、伸一の奮闘は続いた。

緑野 あらすじ

伸一は、東京に続き、各方面・県の強化の第一歩として福井県へ。福井は空襲、地震、台風など幾度も大災害に見舞われた。その国土の宿命転換のために必要なのは、まず人々の“心の変革”であった。県幹部総会に出席した伸一は、福井の伝統に新たな光をあてて郷土の誇りを掘り起こし、「福井のルネサンスを!」と力説。学会員こそ地域繁栄の主役との深い自覚を促していったのである。また席上、伸一は、13年前、夜行列車に乗った伸一に会おうと、深夜に敦賀駅に来たが、対面できなかった同志に励ましの言葉を。終了後には、福井長を務める青年に、指導者の在り方を語る。

伸一の激闘は、妻・峯子が戦時中に疎開していた岐阜県にも。県幹部会では、「一人立つ」と題した、青年部の創作劇が感動を呼ぶ。“命ある限り戦う”との叫びに、伸一は、これが学会精神だと伝言を。会合では、一人一人の社会での勝利の実証が学会の正義の証明になると訴えた。また岐阜本部では、聖教新聞の記者・通信員に激励を重ねる。 皆の胸中に使命の種子を、勇気の種子を植え続けることが、希望の緑野を広げると確信していた伸一は、群馬県へ。群馬が“地方の時代”の先駆を切り、広布のモデル県になるよう期待を寄せ、地元の交響楽団で活躍する友を励ます。さらに茨城に続いて、北海道を訪問。ここでは「広宣流布は北海道から」との指針を贈る。

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新人間革命のあらすじ 第17巻は全4章

  1. 新人間革命 あらすじ 本陣の章
  2. 新人間革命 あらすじ 希望の章
  3. 新人間革命 あらすじ 民衆城の章
  4. 新人間革命 あらすじ 緑野の章

新人間革命 雌伏(59)|2017年6月2日

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 奄美の女子部員が、フェリーで奄美大島の名瀬港を発ったのは、二月十五日の午後九時過ぎであった。
 星々が、微笑むように夜空に輝いていた。
 フェリーに十一時間揺られ、十六日朝、鹿児島に着き、空路、東京へ向かった。
 羽田空港に到着したのは、午後一時過ぎであった。そこから、奄美と交流のある江戸川区を訪れ、同区の女子部との交歓会、セミナーに参加し、夜、遂に念願の創価女子会館の前に立ったのである。気温は摂氏二度。吐く息が白い。二月の平均気温が一五度を上回る奄美では、体験したことのない寒さである。しかし、皆の心は燃えていた。
 山本伸一は、彼女たちが奄美大島を出発したことを聞くと、無事を祈念して唱題した。そして、南海の友には、東京の寒さは体にこたえるだろうと、温かいお汁粉を振る舞うように手配したのである。
 創価女子会館でメンバーは、伸一の心尽くしのお汁粉に歓声をあげ、舌鼓を打った。
 また、前年の五月に女子部長になった町野優子を中心に勤行を行い、誓いを果たした“勝利の青春”の喜びを嚙み締めた。さらに、会長の十条潔から、伸一の、奄美の同志への大きな期待を聞き、師との出会いに胸を躍らせるのであった。
 翌十七日、午前中は、学会本部や聖教新聞社などを見学し、午後、貸し切りバスで、伸一のいる立川文化会館をめざした。
 「奄美の女子部は、まだかね」
 伸一は会館で、一行の到着を待ちながら、周囲の幹部に何度もこう尋ねた。
 交通の便もよくない離島にあって、ハブにも注意しながら夜道を歩き、同志の激励に、仏法対話に取り組んできた女子部員の奮闘を思うと、早く励ましたくて、じっとしてはいられない思いにかられるのだ。
 信心は、年齢でも立場でもない。広宣流布のために、健気に戦い、未来への門を開く人こそが、最も大切な創価の宝である――それが伸一の実感であり、信念であった。

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新人間革命 雌伏(58)|2017年6月1日

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 長田麗は、宗門による学会批判が激しさを増した時、地元寺院の住職の妻から呼び出された。学会の悪口を聞かされ、宗門につくのか、学会につくのかを迫られた。
 彼女は、毅然として言った。
 「私たちに信心を教えてくれたのは学会です。私たちを励ましてくれたのも、山本先生であり、学会です。宗門ではありません!」
 奄美に脈打つ、「スットゴレ!」(負けてたまるか!)の敢闘精神は、次代を担う若き世代に、しっかりと受け継がれていたのだ。
 山本伸一の会長辞任は、奄美の女子部員にとっても、衝撃的な出来事であった。
 長田は、皆に訴えた。
 「今こそ私たちは、創価の勝利を打ち立てて、東京へ、創価女子会館へ、山本先生のもとへ行きましょう!」
 彼女は、女子部員の激励に、島から島へと走った。ひとことに奄美大島地域本部といっても、その範囲は広い。有人島だけでも、彼女の住む奄美大島をはじめ、八島がある。奄美大島からは、徳之島まで船で三時間、沖永良部島まで五時間半、与論島までは七時間もかかる。こうした島々で、広布の誓いに燃える若き女性リーダーたちが、はつらつと正義と希望の行進を開始したのだ。
 どんなに地理的に遠い地域にいても、広布に進む師弟に心の距離はない。広大な海も、峨々たる山々も、師弟の心を引き離すことはできなかった。その魂の絆は、むしろ、強く、深く、結ばれていったのだ。
 一九八〇年(昭和五十五年)二月十七日午後、二台のバスに分乗した奄美大島地域本部の女子部員が、山本伸一のいる東京・立川文化会館に到着した。メンバーは、奄美大島加計呂麻島、徳之島、沖永良部島から参加した総勢八十六人である。
 奄美の女子部として未曾有の弘教に挑戦し、勝利の歴史を開いて集ってきた法友の顔は、晴れやかであった。戦う人は美しい。その生命には、歓喜の光彩があるからだ。

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新人間革命 雌伏(57)|2017年5月31日

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 かつて奄美大島の一部の地域で、学会員への激しい迫害事件があった。村の有力者らが御本尊を没収したり、学会員の働き場所を奪ったりするなどの仕打ちが続いた。生活必需品も売ってもらえなかった。車を連ねて学会排斥のデモが行われたこともあった。
 奄美の女子部員は、少女時代に、そうした逆風のなかで、父や母たちが悔し涙を堪え、自他共の幸せを願って、懸命に弘教に励む姿を目の当たりにしてきた。
 奄美大島地域本部の女子部長である長田麗も、その一人であった。父親は、彼女が一歳の時に船の遭難事故で他界していた。病弱な母親が、和裁の仕事をして、女手一つで彼女と姉を育てた。暮らしは貧しかった。
 一家は、一九五八年(昭和三十三年)に入会する。母は“自分たちが宿命を転換し、幸せになるには、この信心しかない”と、真剣に学会活動に取り組んでいった。
 すると、日々の生活に張り合いと希望を感じ、体調も良くなり、次第に、確信が芽生えていった。母は、口数の少ない人であったが、小学生の麗を連れて弘教に歩いた。旧習の根深い地域である。訪ねた家で返ってくるのは、決まって蔑みの言葉であり、嘲りであり、罵倒であったが、母は負けなかった。
 「学会の信心は絶対に正しい。やれば、必ず幸せになれるんですよ」と、厳として言い切るのである。人びとの幸せを願う懸命な母の姿に、人間の強さと輝きを見た思いがした。
 麗が小学校の高学年の時、母が風邪をこじらせ、高熱を出した。氷囊の氷もすぐに溶けてしまうほどだった。一晩中、看病した。
 病床で、母は繰り返した。
 「私に、もしものことがあっても、絶対に学会から離れてはいけない。御本尊様だけは放してはいけない……」
 その言葉は、幼い娘の生命に、深く刻まれた。やがて健康を回復した母は、元気に学会活動に励み始めた。和裁の仕事も増え、生活は安定していった。功徳の体験は確信を育み、ますます信心を強盛にしていく。

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新人間革命 雌伏(56)|2017年5月30日

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 四国の同志が、「さんふらわあ7」号で神奈川文化会館を訪れた約一カ月後の二月十七日のことであった。鹿児島県奄美大島地域本部(後の奄美光城県)の女子部員八十六人が、山本伸一がいた東京・立川文化会館を訪問したのである。
 ――一年前の二月一日、伸一は、九州研修道場で行われた九州記念幹部会に出席した。「七つの鐘」の総仕上げとなるインド訪問を控えての幹部会であった。
 九州各県から集った参加者のなかに、奄美の女子部の代表もいた。伸一は、研修道場で皆と記念のカメラに納まり、奄美のメンバーに語りかけた。
 「何か要望があったら、あとで女子部長の方に言ってください。どんなことでも結構です。遠慮などする必要はありません。私は、可能な限り、皆さんの要望に応えたいんです。離島で苦労に苦労を重ね、奮闘してきた、大事な宝の皆さんだもの」
 奄美の代表が、女子部長に希望を伝えた。
 「創価女子会館で、奄美大島地域本部の女子部の勤行会を行わせてください!」
 東京・信濃町に、女子部の会館として創価女子会館が開館したのは、一九七七年(昭和五十二年)十二月であった。以来、全国の女子部員が、訪問を望んでいたのである。
 伸一は、その要請を快諾した。
 彼女たちは誓い合った。
 「それぞれが各地域で、広布拡大の大波を起こして、広宣流布の師匠である山本先生のもとに集いましょう!」
 宗門僧による卑劣な学会攻撃も続いていた。そのなかでメンバーは、創価の正義の旗を掲げ、情熱をたぎらせて、弘教に走った。しかし、九州研修道場での出会いから三カ月を経ずして、伸一が会長を辞任したのだ。
 突然、太陽が雲に覆い隠された思いであった。でも、負けなかった。
 「こうした時だから、弘教の大勝利をもって、先生に安心していただきましょう!」
 逆境は、人間の真価を問う試金石となる。

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新人間革命 雌伏(55)|2017年5月29日

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 ボーッと、「さんふらわあ7」号の出航を告げる汽笛が夜の海に響いた。
 四国の同志は、甲板に出ていた。船は、静かに離岸し始めた。
 見送りに埠頭に集った神奈川の同志が、「さようなら!」「また来てください!」と口々に叫びながら手を振っている。岸辺には、窓明かりが光る神奈川文化会館がそびえ、横浜の街の灯が広がっていた。次の瞬間、文化会館の明かりが一斉に消えた。上層階の窓に、幾つもの小さな光が揺れている。
 船舶電話に連絡が入った。
 「今、山本先生と奥様が、最上階で懐中電灯を振って、見送ってくださっています。船から見えますか?」
 直ちに船内放送でメンバーに伝えられた。
 皆、甲板の上から、最上階の光に向かって盛んに手を振り、声を限りに叫んだ。
 「先生! 四国は頑張ります!」
 「ご安心ください!」
 「地域広布の先駆けとなります!」
 皆、目を潤ませていた。
 伸一たちは、船が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも懐中電灯を振り続けた。
 遠ざかる船上で叫ぶメンバーの声が、伸一たちに聞こえることはない。しかし、彼も峯子も、わが同志の心の声を聴いていた。また、彼らの送る光は、四国のメンバーの胸に、消えることのない、勇気と希望の灯火となって映し出されていったのである。
 日蓮大聖人は、「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」(御書一二二三ページ)と仰せである。求道の志ある人には、成長がある。歓喜があり、感謝がある。それは、新しき前進の大原動力となろう。
 伸一は、この夜も、船が揺れず、無事故で皆が帰れるように唱題した。さらに、夜更けてから船と連絡を取り、再度、「来られなかった方々に、くれぐれもよろしく」と伝えた。
 翌朝も、安否を確認する連絡を入れた。
 彼にとっては、弟子たちこそが最高の宝であり、未来を照らし出す太陽であった。

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新人間革命 雌伏(54)|2017年5月27日

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 山本伸一は、「熱原の三烈士」「さくら」と、ピアノを弾いていった。“凜々しき勇気の信仰者に育て!”“幸の桜花咲く人生の春を!”との祈りを込めた演奏であった。
 彼は思った。
 “今、この時に、求道の炎を燃やし、波浪を越えて、横浜の地までやって来た四国の同志の果敢な行動は、広宣流布の歴史に燦然と輝き、永遠に語り継がれるにちがいない。
 大事なことは、学会が苦境に立った時に、いかに行動し、新しい突破口を開くかだ”
 伸一は、「最後に“大楠公”を弾きます。また、お会いしましょう」と語り、さらに、ピアノに向かった。
 皆、調べに耳を傾け、“大楠公”に歌われた楠木正成・正行の父子に創価の師弟を重ねながら、心に誓っていた。
 “私たちは、断じて学会精神を継承していきます。いかなる事態になろうが、広宣流布の道を開き抜いていきます。四国は負けません。創価の勝利の旗を翻してまいります!”
 求道の思い熱き同志の目に、涙が光った。
 そして、全員で四国創価学会の万歳を三唱し、大拍手が響くなか、会食懇談会は終了した。伸一は言った。
 「ありがとう! お元気で! 今日は、皆さんの船をお見送りいたします。
 どうか、留守を預かるご家族の皆さん、それぞれの組織の皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。また、青年部は、お父さん、お母さんを大切に!」
 四国のメンバーが神奈川文化会館を出た時には、すっかり夜の帷に包まれていた。
 埠頭には、二百人余りの神奈川のメンバーが集まり、乗船する四国の同志を見送った。
 音楽隊が四国の歌「我等の天地」を演奏するなか、船からは色とりどりのテープが投げられた。次いで、神奈川のメンバーが、演奏に合わせて県歌「ああ陽は昇る」を熱唱したあと、皆で一緒に「広布に走れ」「威風堂々の歌」を大合唱した。創価の法友の心は一つにとけ合い、歌声が星空に轟いた。

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新人間革命 雌伏(53)|2017年5月26日

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 山本伸一は参加者に近況などを尋ね、ちょっとした話題を契機に、信心やリーダーの在り方に触れ、指導、激励していった。皆、その自在な語らいを望んでいたといってよい。
 話は、同志に接する幹部の姿勢に及んだ。
 「幹部の皆さんは、会員の方々の意思をどこまでも尊重し、相手を傷つけるようなことがないように、心していってください。
 また、さまざまな方がいることでしょう。全員が、素直に話を聞いてくれるわけではありません。リーダーは苦労も多いが、大きな心で皆を包み、幸せになるように全力を注ぎ、忍耐強く励ましていくなかに仏道修行があるんです。その苦労が、自身の功徳、福運となっていきます。
 草創期に歌った学会歌の『日本男子の歌』に、『海をも容るる 慈悲を持ち』とあるじゃないですか。そう歌いながら、実践しないのは、問題ですよ」
 笑いが広がった。
 「では、勤行しましょう!」
 伸一の導師で勤行が始まった。広宣流布を誓願する師弟の読経・唱題の声は、力強い躍動の音律となって響いていった。
 午後三時半からは、会食懇談会が開始された。伸一は、八階の壮年・婦人の会場に出席し、同じテーブルに着いたメンバーの報告に耳を傾けた。やがて五階にいた青年たちも合流し、アトラクションが始まった。
 「南国土佐を後にして」の合唱や、阿波踊りなどが次々と披露されていった。伸一は、「楽しくやろうよ」と声をかけ、一つ一つの演技に惜しみない拍手を送るのであった。
 歌や踊りが一段落すると、彼は言った。
 「では、私がピアノを弾きます」
 最初に「厚田村」の調べが流れた。
 今こそ、恩師・戸田城聖のごとく、北海の吹雪に一人立ち向かう勇気と覇気とをもって、雄々しく前進してほしい――そう願いながら、鍵盤に指を走らせた。
 試練は人を鍛える。なれば、広布を阻む猛吹雪に敢然と挑みゆく人は最強の勇者となる。

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新人間革命 雌伏(52)|2017年5月25日

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 山本伸一は、皆と一緒に勤行し、四国から来たメンバーの帰途の無事と、全参加者の健康と一家の繁栄を祈念しようと交流幹部会の会場に姿を現した。幾つもの懐かしい顔が、彼の目に飛び込んできた。
 伸一は、何人かの同志に、次々と声をかけていった。そして、四国の壮年幹部らに語り始めた。
 「幹部は、決して威張ったり、人を叱ったりしてはいけないよ。どこまでも、仏子として敬い、大切に接していくことです。
 戸田先生は、弟子を叱られることがあったが、そこには深い意味がありました。
 第一に、広宣流布のために弟子を訓練し、自分と同じ境涯に高め、一切を託そうとされる場合です。その人が担っていく責任が重いだけに、それはそれは、厳しく叱咤されることもあった。
 第二に、魔に信心を妨げられている人を、どうしても立ち上がらせたいという時に、その魔を打ち破るために、叱られた。
 人間には、直情径行であるために皆と調和できない人や、自滅的な考えに陥ってしまう人、困難を避けて通ろうとする人、いざとなると責任転嫁をしたり、ごまかそうとしたりする人もいる。そうした傾向性や、その背後に潜む弱さ、ずるさ、臆病が一凶となり、魔となって、自身の信心の成長を妨げ、さらに幸福への道を誤らせてしまう。ゆえに戸田先生は、その一凶を自覚させ、断ち切るために、叱られることがありました。
 第三に、多くの人びとに迷惑をかけ、広宣流布の団結を乱している時などには、本人のため、皆のために、それをやめさせようとして叱ることがありました。
 つまり、いかなる場合も戸田先生の一念の奥底にあるのは、大慈大悲でした。それもわからず、言動の一端を真似て、同志を叱るようなことがあっては絶対にならないし、どんな幹部にもそんな権利はありません。誤りを正さなければならない場合でも、諄々と話していけばよいことです」

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