人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 大山(61)|2017年3月15日

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山本伸一は、前年の一九七八年(昭和五十三年)七月三日、男子部歌「友よ起て」を作詞・作曲して、後継の青年たちに贈った。
  
 〽広布のロマンを 一筋に
  打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
  やがては誉れの 凱歌の世紀
  花に吹雪に 友よ起て
   
 その歌詞にあるように、「七つの鐘」は鳴り響き、今、学会は「凱歌の世紀」をめざして、新しい旅立ちの朝を迎えたのだ。
 五月三日――五月晴れの空のもと、「七つの鐘」の総仕上げを記念する第四十回創価学会本部総会が、東京・八王子市の創価大学体育館で行われた。参加者は皆、新出発の祝賀の本部総会であることはわかっていた。しかし、誰もが心のなかで、一抹の寂しさを拭いきれずにいた。“これから学会は、どうなってしまうのか”との思いも強かった。
 開会は、午後二時である。この総会には、法主の日達をはじめ、宗門僧の代表も出席することになっていた。伸一は彼らを迎えるために、午後一時半前から新会長の十条潔らと創価大学の玄関前に立った。やがてマイクロバス、乗用車が到着し、僧が降りてきた。
 「ようこそ、おこしくださいました!」
 伸一はモーニングに身を包み、丁重にお辞儀をし、僧たちを迎えた。しかし、多くはあいさつもせず、無表情に、傲然と通り過ぎていく。なかには、したり顔で一瞥し、冷ややかな笑いを浮かべる者さえいる。
 伸一の脳裏には、悪僧の冷酷な仕打ちに苦しんできた学会員の悲痛な顔が浮かんでは消えた。今回、自分が身を引くことで、宗門が言うように事態が収まるなら、それでよいと彼は思った。
 守るべきは誰か――健気な学会員である。最愛の同志である。尊き仏子たちである。
 そのために自分は盾になり、犠牲にもなろうと、彼は心を定めていたのである。
 決定した心には、勇気の太陽が昇る。

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新人間革命 大山(60)|2017年3月14日

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山本伸一は、しみじみと思うのであった。

 “戸田先生は、私という一人の真正の弟子を残した。全生命を注ぎ尽くして、仏法を、信心を教え、万般の学問を授け、将軍学を、人間学を伝授し、訓練に訓練を重ねてくださった。また、先生の事業が破綻し、烈風に立ち向かった、あの辛酸の日々を過ごしたことも、師子として私を鍛え上げるための、諸天の計らいであったのかもしれない。

 私も会長就任以来十九年、全精魂を傾けて後継の人材を、一陣、二陣、三陣、四陣……と育ててきた。しかし、その本格的な育成は、いよいよこれからだ。

 後を継ぐ第一陣ともいうべき首脳幹部たちは、嵐のなかに船出し、学会の全責任を担い、懸命に戦うなかで、真正の師子となってもらいたい。退路なき必死の闘争が覚悟を決めさせ、師子の魂を磨き上げるからだ。

 それに、今ならば、私も彼らを見守り、個人的に励まし、一人の同志としてアドバイスしていくこともできる。執行部を、後継の同志を、正行のように、討ち死になど、断じてさせるわけにはいかぬ!”

 そう考えると、すべては御仏意であると、伸一は強く確信することができた。

 “あとは、二十一世紀を託す若き師子たちの育成が、大事な仕事となる。一人ひとりが、いかなる時代の激動にも対応できる、知勇兼備の後継の逸材に育ってほしい”

 彼は、青年たちに、その思いを伝えるために、“大楠公”の歌のピアノ演奏をテープに収め、門下の代表に贈ろうと思った。

 早速、職員にテープレコーダーを用意してもらった。そして、初めに「わが愛し、信ずる君のために、また、二十一世紀への大活躍を、私は祈りながら、この一曲を贈ります」との言葉を録音し、ピアノに向かった。

 ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。

 “立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”と心で叫びながら――。

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新人間革命 大山(59)|2017年3月13日

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 一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。
  
       正成涙を打ち払い
       我子正行呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここ迄来れども
  とくとく帰れ故郷へ
  
 以来、二十八年余――伸一は今、静岡研修道場にあって、後継の人を残して決死の大戦に赴こうとする勇将の胸の内を、そして、わが師の思いを噛み締めていた。

 彼もまた、十条潔ら新執行部に、さらには後継の若き人材たちに、これからの学会を託して、新しき世界広宣流布へと旅立つことを思うと、あの時の戸田の覚悟が強く心に迫ってくるのである。

 伸一は、研修道場の白いピアノに向かった。指が鍵盤を走り、“大楠公”の曲を奏で始めた。
   
     父上いかにのたもうも 
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  此正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅
   
     いましをここより帰さんは
  わが私の為ならず
  己れ討死為さんには
  世は尊氏の儘ならん
  …………
   
 彼は心で恩師・戸田城聖に誓っていた。

 “正成も、父の遺志を継いだ正行も、足利方と戦い、敗れ、無念の最期を遂げましたが、私は負けません。必ず全同志を守り抜き、世界広宣流布の新舞台を開きます!”

 

 *小説『新・人間革命』文中の「青葉茂れる桜井の(大楠公)」(作詞=落合直文)の歌詞は、正規には本文中のとおりですが、学会のなかでは慣習的に、「いまし」は「汝(なんじ)」、「来(きつ)れ」は「来(きた)れ」、「わが私の」は「われ私の」と歌われています。

新人間革命 大山(58)|2017年3月11日

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 戸田城聖の目は、広宣流布の未来を見すえていた。その未来へ、創価の魂の水脈を流れ通わせるために、彼は、山本伸一という一人の弟子に、後継者として一切を託そうとしていたのである。

 伸一には、その師の気持ちが痛いほどわかった。戸田は、再確認するように語った。

 「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」

 伸一は、潤んだ瞳を上げた。

 「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」

 まさに背水の陣ともいうべき状況のなかでの、厳粛な師弟の対話であった。

 この時、伸一の脳裏に、湊川兵庫県神戸市)の戦いに赴く武将・楠木正成と長子・正行の父子が交わした別れの語らいが浮かんだ。

 一三三六年(延元元年・建武三年)、正成は、朝敵となった足利尊氏の上洛を防ぐために、湊川の戦場へと向かう。しかし、討つべき足利方の軍は大軍であり、敗北は必至であった。死を覚悟しての戦いである。

 正成は湊川での決戦を前にし、桜井(大阪府三島郡島本町)の地で正行を呼び、引き返すように告げる。だが、正行も、父と共に討ち死にする覚悟であり、帰ろうとはしない。正成は、涙ながらに、もしも二人が共に討ち死にしてしまえば、尊氏の天下となってしまうことを訴え、正行を説き伏せる。

 その情景を歌にしたのが、“大楠公”と呼ばれる「青葉茂れる桜井の」(作詞・落合直文)である。戸田が愛し、青年たちに、よく歌わせた歌である。正成は、正行に言う。

 「早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為」――この歌詞に戸田は、青年たちへの、“早く巣立ってほしい。広宣流布の大願に生き抜け!”との願いを託していたのである。

新人間革命 大山(57)|2017年3月10日

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学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。
 山本伸一は、強く自分に言い聞かせた。
 “断じて、人材の大河を開いてみせる!” 彼は、一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、恩師・戸田城聖が最も窮地に立たされていた時、自宅へ呼ばれ、後事の一切を託された日のことを思い起こした。
 戸田は、四九年(同二十四年)秋、出版事業が暗礁に乗り上げると、状況打開のために東光建設信用組合の専務理事として金融事業に着手する。しかし、時代の荒波をもろに被り、事業は悪化の一途をたどった。そして、遂に業務停止という最悪な事態を迎えたのである。新たな活路を求めて、戸田が最高顧問となって大東商工がスタートしていたが、それも思うに任せなかった。
 社員のなかには、戸田を恨み、憎み、罵りながら、去っていく者もいた。一部の債権者は彼を告訴さえしており、事と次第によっては、逮捕もされかねない状況である。戸田は、自ら当局に出頭し、事情説明にあたる覚悟を固めていた。
 そのなかで、東光建設信用組合の残務整理のために、伸一を自宅に呼んだのである。
 戸田が妻の幾枝を傍らに置き、率直に心の内を語り始めると、幾枝は肩を震わせて泣き伏した。“将軍の妻”が「大切な時に泣くとは、いったい何事だ!」と、彼は叱咤し、伸一に言うのであった。
 「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、組合のことも、また、大東商工のことも、一切、君に任せるから、引き受けてくれまいか。そして、できることなら、私の家族のこともだ」
 さらに、言葉をついだ。
 「私の、この世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。わかっているね。何が起きたとしても、しっかりするんだぞ」
 いかなる事態になろうが、共に広宣流布の大使命に生き抜いてこそ師弟である。

新人間革命 大山(56)|2017年3月9日

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法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。この仏は、一人を指すのではない。最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といった。そして「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」(法華経五五六ページ)と記されている。つまり「二万億の仏」が、皆、同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたと説かれているのだ。
 戸田城聖は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と鋭く洞察していた。
 個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる。
 「創価学会仏」とは、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟に連なり、広宣流布大誓願の使命に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いである。
 その「創価学会仏」を永遠ならしめていく要件とは何か。
 第一に、一人ひとりが「広布誓願」の生涯を生き抜くことである。人生の根本目的は広宣流布にあると深く自覚し、苦悩する人びとと同苦しながら、「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書一三六一ページ)との御聖訓を心肝に染めて進んでいくのだ。
 第二に、「師弟不二」の大道を歩み抜くことである。死身弘法を貫いた創価の師の魂を受け継ぎ、師の教えを徹して学び、自らの行動の規範とするのだ。つまり、日々、心に師をいだき、師と対話し、“師ならばどうするか”と考え、戦い生きることである。
 第三に、「異体同心」の団結である。日蓮大聖人は、「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(同一三三七ページ)と仰せである。広宣流布のために、それぞれが心を一つにし、全力を発揮していくなかにこそ、信心の血脈が流れ通うのである。

新人間革命 大山(55)|2017年3月8日

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山本伸一は、静岡研修道場で、世界の平和を推進するために、各国の指導者、識者らとの今後の交流や、文明・宗教間の対話をいかにして進めるべきかなど、深い思索を重ねていった。また、その間に、学生部や婦人部、地元・静岡県の代表とも懇談の機会をもち、広宣流布に生きる創価の師弟の道を確認し、新たな前進を開始するよう懸命に訴えた。
 既に、この時、学会の支配を企む弁護士の山脇友政と宗門僧らの陰謀によって、伸一は自由に会合にも出席できない状況がつくられていたのだ。
 ――会長を辞めるのだから、会合に出席して指導するのはおかしい。その話や行動を機関紙誌に報道する必要はない。
 結局、伸一に関して「聖教新聞」が伝えることができるのは、海外の訪問や要人との会見などに限られ、彼の会内の活動は功労者宅の訪問や個人指導等に制限された。邪智の反逆者と悪僧らの狙いは、伸一を徹底して排除し、学会員と離間させることにあった。そうすれば学会を自在に操り、会員を自分たちに隷属させられると考えたのだ。
 創価学会を貫くものは、広宣流布に生きる師弟の精神である。初代会長・牧口常三郎は獄死という殉難の生涯をもって死身弘法の魂をとどめ、第二代会長・戸田城聖は獄中の悟達によって地涌の菩薩の大使命を自覚した。そこに創価の精神の源流が開かれた。
 出獄した戸田は、地涌の同志の陣列・七十五万世帯達成を宣言し、弟子・伸一と共に、その誓願を成就した。日蓮大聖人が仰せの「地涌の義」が実証されたのだ。そして、伸一は、同志と師弟の絆で心を結び合い、世界広宣流布をめざして進んできた。
 かつて戸田は、「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」と語っていたことがあった。
 広布の大使命に生きる学会なればこそ、第六天の魔王は牙を剝いて襲いかかるのだ。

新人間革命 大山(54)|2017年3月7日

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最後に十条潔は、胸の思いをありのままに語っていった。
 「私自身、山本先生のこれまでの指導を深く心に刻み、模範の実践を展開していくとともに、組織の最前線で戦ってこられた皆さんから、信心を学んでまいります。
 したがって、どうか会長だからといって、私のことを、『先生』などと呼ぶようなことはしないでいただきたい。厳粛なる歴代の創価の師のみが『先生』であります。
 私に対しては、『十条さん』や『十条君』で結構ですし、呼び捨てでもかまいません。共に同志として、平等に、異体同心の団結で切磋琢磨しながら、新しい前進を開始してまいろうではありませんか!
 ともかく私は、皆様が安心して朗らかに仏道修行に励んでいかれますように、“会員奉仕”に徹してまいりますので、どうかよろしくお願い申し上げます」
 彼の真摯で率直な話に、皆、さわやかな共感を覚えた。信心指導とは、高みに立って同志を教訓することではない。リーダー自らが一個の人間として、決意と情熱と行動をもって進むべき道を指し示し、共感をもたらしていく生命の触発作業にほかならない。
 創価の新しい前進の歯車は、山本伸一が見守るなか、回転を開始していったのである。
   
 翌二十六日、伸一は、静岡県富士宮の宗門の総本山に法主・日達を訪ね、法華講総講頭の辞表を提出した。その折、日達からは、長年にわたり宗門の隆盛に尽くしてきた伸一の功労をねぎらう言葉があり、法華講名誉総講頭の辞令が渡された。
 夕刻、彼は、静岡研修道場へ向かった。殉教の先師・牧口常三郎の魂を刻む道場で、二十一世紀への大飛躍を期すために、具体的に何を成すべきかを、思索しようと思ったのである。
 一つの終了は、新しい出発である。未来への大いなる飛翔のためには、確たる構想と緻密な計画が不可欠である。

新人間革命 大山(53)|2017年3月6日

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山本伸一に続いて、最後に新会長の十条潔がマイクに向かった。彼は、率直に自身の心境を語っていった。
 「数年前から山本先生は、『次はあなたたちが力を合わせて、学会を推進していくのだから、すべてにわたって、力を磨いていくように』と言われておりました。しかし、私は心のなかでは、“先生にずっと会長をやっていただくのだ”と思い、また、辞められることがないように願ってまいりました。
 ところが今回、先生は、『七つの鐘』の終了に際して、勇退を固く心に期しておられたのであります。
 日ごろから先生は、『いつまでも私を頼りにしてはいけない。それでは、広宣流布の永劫の流れはつくれないではないか』とおっしゃっておりました。私どもも、『先生。ご安心ください。私たちがおりますから』と大きなことを言ってまいりました。そして今や、その時が来てしまったのであります。
 まことに非力な、なんの取りえもない私であり、とうていこの任に堪えられるとは思いませんが、皆様方のご支援をいただいて、会員の皆様のために、全力を尽くしてまいりますので、よろしくお願い申し上げます」
 十条は、広宣流布に生涯を捧げた戸田城聖の死身弘法の実践を、また、その弟子である伸一の激闘に次ぐ激闘を、目の当たりにしてきた。それだけに会長の任の重さを肌で感じていたにちがいない。
 「初代会長・牧口先生、第二代会長・戸田先生、そして第三代会長・山本先生の三会長に脈打つ、“法のため、社会のため、民衆のため”という創価学会の大精神と広宣流布への揺るぎない大情熱を、二十一世紀へ引き継いで、安定した恒常的な流れをつくってまいります。私は、新しい気持ちで、自らの信心と弘教への姿勢を正し、第一歩からやり直すつもりで頑張っていきます」
 信心とは、日々発心、生涯発心である。常に新たな心で、“いよいよ”の気概で、精進を重ねていくのが、仏法者の生き方である。

新人間革命 大山(52)|2017年3月4日

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山本伸一の言葉には、次第に熱がこもっていった。
 「広布の旅路には、さまざまな出来事がある。変遷もある。幹部の交代だって当然あります。そんなことに一喜一憂するのではなく、ひたすら広宣流布に邁進していくんです。それが学会精神ではないですか!  
 『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』(御書一六一八ページ)との、日興上人の御遺誡通りに進んでいこうではありませんか!
 私は私の立場で、一個の人間として、全精魂を尽くして広宣流布を推進していきます。皆さんも一個の人間としての使命を自覚し、一人立ってください。何があろうが広宣流布に生き抜いていこうという決心が大事です。
 組織というのは、人びとを成仏へ、幸福境涯へと導いていくための手段であり、組織の機構や役職自体に功徳があるわけではない。組織は大切だが、人間に例えれば骨格といえます。その組織にあって懸命に広布のため、友のために活動に励んでこそ、そこに温かい人間の血が通い、皆が歓喜につつまれ、自身も偉大なる功徳を受けることができる。
 したがって、幹部は、組織の上に安住したり、官僚化するようなことがあっては絶対にならない。どこまでも、会員のため、広宣流布のために、異体同心で助け合い、潤いのある、安心できる組織の運営をお願いしたい。
 何があろうが、御本尊の功徳は絶対です。ゆえに、不変の信心で進むことです。決して感傷的になってはいけません。
 ともかく、幸せになってください。ご自身が、ご一家が、皆が幸せになることです。それが私の願いであり、祈りです。そのために日蓮大聖人から、“立派な信心であった。良き弟子であった”と賞讃される、悔いなき前進の日々であってください」
 伸一は、心からの思いを訴えた。
 彼は、皆が“一人立つ信心”の勇者であってほしかった。それこそが、自身の幸福を開き、広宣流布を開く根源の力となるからだ。