人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 大山(47)|2017年2月27日

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山本伸一は、記者団の質問に答えて、今後の自身の行動について語っていった。
 「学会としては、世界の平和をめざし、仏法を基調として、さらに幅広い平和運動、教育・文化運動等を展開していきます。私は、その活動に時間をあて、行動していきたいと考えています」
 伸一への質問は続いた。
 「会長交代によって、今後、学会と公明党の関係は変わりますか」
 記者たちの最大関心事は学会と政治との関係にあったようだ。伸一は微笑みながら、「それは、新会長に聞いてもらわないと。でも、これまでと同じでしょ?」と言って、隣の十条潔の顔をのぞき込んだ。
 十条は大きく頷いた。
 「やっぱり、同じですって」
 また、笑いが広がった。
 「これまで同様、学会が公明党の支援団体であることに変わりはないということです。公明党には、いちばん国民のために貢献していると言われる党に、さらに成長していっていただきたいというのが、私の願いです」
 彼は、すべての質問に、率直に答えた。
 午後八時前、記者会見は終わった。
 受付の女子職員が、心配そうな顔で伸一を見ていた。彼は、微笑を浮かべて言った。
 「大丈夫! 私は何も変わらないよ!」
 それから別室に移り、青年部幹部らと懇談した。彼は魂を注ぎ込む思いで訴えた。
 「私が、どんな状況に追い込まれようが、青年が本気になれば、未来は開かれていく。
 弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。
 しかし、師が身を引くと、それをいいことに、わがまま放題になり、学会精神を忘れ去る人もいる。戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。君たちは、断じてそうなってはならない。私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ! 皆が“伸一”になるんだ!」

新人間革命 大山(46)|2017年2月25日

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十条潔は、緊張した面持ちで新会長としての抱負を語った。
 「山本第三代会長の後を受けまして、新しい制度による出発となりました。これまでに山本会長は、学会の運営は皆で行っていけるように、十分に指導してくださいました。これからも、学会の進み方に変わりはありません。誠に大任ですが、決意を新たにし、この任を全うしていきたいと考えております。
 今後は二十一世紀をめざし、五年単位の展望で前進してまいります。特に最初の五年は人材の育成に力を注いでいく所存です。そして、二度と戦争を起こさせない、社会の安定した平和勢力に、学会を育てていきたいと思っております」
 そこに、山本伸一が到着した。
 彼は、記者たちに笑顔を向け、「大変にお疲れさまです」と言って礼をし、十条にも会釈して隣に座った。
 すぐに、「現在の心境と会長勇退の理由をお聞かせください」との質問が飛んだ。
 「大きな荷物を下ろしてホッとした気持ちです。ただし、新しい会長中心の体制、これからの前進を見守るという意味では、また新しい荷物を背負ったような気持ちもいたします。ゆっくり休ませてくれないんですよ」
 彼の言葉に、どっと笑いが起こった。どことなく重たかった空気が一変し、十条の顔にも笑みが広がった。伸一は、新体制の出発を明るいものにしたかったのである。
 ユーモアは暗雲を吹き払う。
 彼は、話を続けた。
 「既に説明もあったと思いますが、会長を辞任しようと思った最大の理由は、足かけ二十年という歳月を、一人で最高責任者をしていることは長すぎると判断したことです。以前から、後進に道を譲ることで、新しい活気に満ちた創造もなされると考えてきました。
 また、疲れもたまっています。しかし、私は五十一歳であり、今ならば、まだ皆を見守りながら、応援していくことができます」
 人生は、闘争の連続であるといえよう。

新人間革命 大山(45)|2017年2月24日

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県長会等のあとも、山本伸一は新宿文化会館にとどまり、彼の辞任にいちばん衝撃を受けている婦人部の代表と懇談して励ました。また、来客の予定があり、その応対にも時間を費やした。
 夜には、創価学会として記者会見を行うことになっていたが、既に新聞各紙は夕刊で、伸一が会長を勇退し、十条潔が新会長に就任することになると、大々的に報じた。
 それらの報道では、この日の「聖教新聞」に、伸一の所感「『七つの鐘』終了に当たって」が掲載されたことに触れ、それが「辞意」の表明であるなどとしていた。
  
 記者会見の会場である聖教新聞社には、夕刻から、次々と新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミ関係者が訪れ、午後六時過ぎには数十人の記者らでごった返していた。
 午後七時、新会長の十条と新理事長の森川一正、副会長の秋月英介・山道尚弥らが姿を現すと、いっせいにフラッシュが光り、カメラのシャッター音が響いた。
 伸一は、三十分ほど遅れて、会場に行くことにしていた。新会長の十条を前面に立てなければとの思いからであった。
 記者会見では、秋月が、本日の総務会で会長・山本伸一勇退の意向が受理されて辞任し、名誉会長となったと報告。そして、理事長であった十条が会長に、副会長の森川が理事長に就任したことが発表された。
 また、伸一の会長勇退については、「七つの鐘」の終了という学会にとって大きな歴史の区切りを迎え、新しい制度、機構も整い、人材もそろったので、会長職を辞して、平和・文化・教育の活動に力を注ぎたいとの希望が出されたことなどが伝えられた。
 マスコミ関係者の多くは、辞任の情報は耳にしていた。しかし、昨日まで、まだ先のことではないかと思っていたようだ。
 学会が未曾有の大発展を遂げたのは、常に未来を見すえて、先手、先手と、素早く手を打って前進してきたことにこそある。

 

新人間革命 大山(44)|2017年2月23日

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二十四日の総務会で制定された「創価学会会則」は、学会が宗教団体として、どのように宗教活動をしていくのか、また、どのように会員を教化育成していくのか、さらに、そのために組織をどのように運営していくのかなど、原則的な事項を定めたものである。つまり、学会が宗教団体として活動を進めていくうえでの基本的な規範といえよう。
 それまで学会は「創価学会規則」のほか、総務会規定、人事委員会規定など個別の事項について定めた規定、さらに創立以来培われてきた慣例等が運営の基本となってきた。
 この「会則」は、学会の飛躍的、重層的な発展と、「七つの鐘」終了にともなう新時代への前進に対応するため、それらを整理し、成文化してまとめたものである。
 「会則」は十五章からなり、会長及び理事長については、総務のなかから総務会が選出することが明記され、任期は五年と定められていた。(その後、改定=編集部注)
 なお、この日の総務会には、副会長の鮫島源治からも役職辞任の申し出があり、受理されている。
 県長会が終了し、正午ごろになると、「創価学会山本伸一会長が辞任へ」とのニュースがテレビ、ラジオで流れた。報道では、宗門の法華講総講頭も辞め、新会長には十条潔が就任し、伸一は名誉会長となる見込みであることなどが伝えられた。既に情報が流されていたのである。
 全国の学会員にとっては、まさに寝耳に水であった。“そんなことがあるわけがない。とんでもない誤報だ”と思う人もいれば、“本当なのだろうか”と、首をひねる人もいた。また、“なんで先生が会長を辞めなければならないのか!”と憤る人もいた。
 学会本部には、問い合わせや憤慨の電話が殺到した。電話口で泣きだす人もいた。交換台は、大わらわであった。
 海を進む船は、荒波にも揉まれる。疾風怒濤を越えてこそ、新天地へと至る。伸一は、ただ一人、船首に立って風に向かった。

新人間革命 大山(43)|2017年2月22日

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会場の中央にいた男性が立ち上がった。まだ三十代の東北方面の県長である。彼は、県長会の参加者に怒りをぶつけるかのように、声を張り上げて訴えた。
 「皆さんは、先生が辞任されるということを前提に話をしている。私は、おかしいと思う。そのこと自体が、納得できません!」
 沈黙が流れた。
 伸一の声が響いた。
 「辞任が大前提でいいじゃないか。私は、そう決めたんだ。これで新しい流れができ、学会員が守られるならば、いいじゃないか。
 声を荒らげるのではなく、学会は和気あいあいと、穏やかに、団結して進んでいくことだよ。私と同じ心であるならば、今こそ、同志を抱きかかえるようにして励まし、元気づけていくんだ。みんなが立ち上がり、みんなが私の分身として指揮を執るんだ!
 初代会長の牧口先生が獄死されても、戸田先生がその遺志を受け継いで一人立たれた。そして、会員七十五万世帯を達成し、学会は大飛躍した。その戸田先生が逝去された時、私は、日本の広宣流布を盤石にし、必ずや世界広布の流れを開こうと心に誓った。そうして今、大聖人の仏法は世界に広がった。
 物事には、必ず区切りがあり、終わりがある。一つの終わりは、新しい始まりだ。その新出発に必要なのは、断固たる決意だ。誓いの真っ赤な炎だ。立つんだよ。皆が後継の師子として立つんだ。いいね。頼んだよ」
 県長会は、涙のなかで幕を閉じた。
 何があろうと、皆の心に峻厳な創価の師弟の精神が脈動している限り、新しき道が開かれ、広宣流布は伸展していくのだ。
 引き続き、午後には総務会が開かれた。
 この席上、伸一の会長辞任の意向が伝えられ、受理された。さらに総務会では、懸案であった「創価学会会則」の制定を審議し、採択。これに基づき、新会長に十条潔が、新理事長に森川一正が選任され、伸一は名誉会長に就任した。それは、伸一にとって、壮大な人生ドラマの新章節の開幕であった。

新人間革命 大山(42)|2017年2月21日

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山本伸一は、力強い口調で語り始めた。
 「これからは、新会長を中心に、みんなの力で、新しい学会を創っていくんだ。私は、じっと見守っています。悲しむことなんか、何もないよ。壮大な船出なんだから」
 会場から声があがった。
 「先生! 辞めないでください!」
 すすり泣きがもれた。それは次第に大きくなっていった。号泣する人もいた。
 一人の壮年が立ち上がって尋ねた。
 「今後、先生は、どうなるのでしょうか」
 「私は、私のままだ。何も変わらないよ。どんな立場になろうが、地涌の使命に生きる一人の人間として戦うだけだ。広宣流布に一身を捧げられた戸田先生の弟子だもの」
 青年の幹部が、自らの思いを確認するように質問した。
 「会長を辞められても、先生は、私たちの師匠ですよね」
 「原理は、これまでに、すべて教えてきたじゃないか!
 青年は、こんなことでセンチメンタルになってはいけない。皆に、『さあ、新しい時代ですよ。頑張りましょう』と言って、率先して励ましていくんだ。恐れるな!」
 次々に質問の手があがった。
 「県長会には出席していただけますか」
 壮年の質問に伸一は答えた。
 「新会長を中心に、みんなでやっていくんだ。いつまでも私を頼っていてはいけない。
 これまで私は、全力で指導し、皆の育成にあたってきた。すべてを教え、伝えてきた。卒業のない学校なんかない」
 「各県の指導には回っていただけるんでしょうか。ぜひ、わが県に来てください」
 涙を浮かべながら、婦人が言った。
 「ありがとう。でも、今までに何度となく各県を回ってきたじゃないか。これからは、平和のために、もっと世界を回りたい。いつ戦争になるかわからない国もある。できる限りのことをしておきたいんだよ」
 平和への闘魂がほとばしる言葉であった。

 

 

 

新人間革命 大山(41)|2017年2月20日

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県長会のメンバーは、十条潔の説明で、山本伸一が会長辞任を決意した理由はわかったが、心の整理がつかなかった。
 十条は話を続けた。
 「先生は、この際、創価学会の会長だけでなく、法華講総講頭の辞任も宗門に申し出られました。こちらの方は、宗門との間に生じた問題の一切の責任を負われてのことです。
 先生が会長を辞められるというと、どうしても、私たちは悲しみが先に立ってしまう。しかし、大切なことは、先生の決断を、その心を、しっかりと受けとめ、未来に向かい、明るくスタートすることではないかと思う。
 力のない私たちではあるが、これから力を合わせて、『先生。ご安心ください』と言える創価学会をつくることが、弟子の道ではないだろうか!
 なお、今後の流れとしては、先生の勇退のお話を受けて、本日、午後から総務会を開催し、勇退が受理されたあと、記者会見を開き、正式発表となる予定であります」
 彼の話は終わった。拍手が起こることはなかった。婦人の多くは、目を赤く腫らしていた。虚ろな目で天井を見上げる壮年もいた。怒りのこもった目で一点を凝視し、ぎゅっと唇を嚙み締める青年幹部もいた。
 その時、伸一が会場に姿を現した。
 「先生!」
 いっせいに声があがった。
 彼は、悠然と歩みを運びながら、大きな声で言った。
 「ドラマだ! 面白いじゃないか! 広宣流布は、波瀾万丈の戦いだ」
 皆と一緒に題目を三唱し、テーブルを前にして椅子に座ると、参加者の顔に視線を注いだ。皆、固唾をのんで、伸一の言葉を待った。
 「既に話があった通りです。何も心配はいりません。私は、私の立場で戦い続けます。広宣流布の戦いに終わりなどない。私は、戸田先生の弟子なんだから!」
 彼は、烈風に勇み立つ師子であった。創価の師弟の誇りは、勇気となって燃え輝く。

新人間革命 大山(40)|2017年2月18日

 

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山本伸一の会長辞任は、あまりにも突然の発表であり、県長会参加者は戸惑いを隠せなかった。皆、“山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った。だから、十条潔から“勇退”と聞かされても、納得しかねるのだ。
 宗門との問題が、会長辞任の引き金になったことは紛れもない事実である。しかし、伸一には、未来への布石のためという強い思いがあった。
 十条の額には汗が滲んでいた。彼は、皆の表情から、まだ釈然としていないことを感じ取ると、一段と大きな声で、「山本先生は、ご自身が勇退される理由について、次のように語っておられます」と言い、伸一の話を記したメモを読み上げた。
 「第一の理由――十九年という長い会長在任期間のため、体の限界も感じている。したがって学会の恒久的な安定を考え、まだ自分が健康でいる間にバトンタッチしたい。牧口・戸田門下生も重鎮としており、青年の人材も陸続と育っている今こそ好機である。
 第二の理由――一九七〇年(昭和四十五年)以来の懸案としてきた、社会と時代の要請に応える学会の制度・機構の改革も着々と具体化した。それを踏まえた会則も、このほど制定される運びとなった。次代へ向け、協議し合って進みゆく体制も整った。会の運営を安心して託せる展望ができた。
 第三の理由――近年、仏法を基調とした平和と文化・教育の推進に力を注いできた。この活動は、今後、日本、世界のために、さらに推進し、道を開いていかなくてはならないと感じている。また、一緒に歴史を創り、活躍してくださった全国の功労者宅への訪問や、多くの執筆等も進めていきたい。それには、どうしても時間を必要とする。
 以上が、山本先生の会長勇退の理由です」
 人も、社会も、大自然も、すべては変化する。その変化を、大いなる前進、向上の跳躍台とし、希望の挑戦を開始していく力が信心であり、創価の精神である。

新人間革命 大山(39)|2017年2月17日

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未来を展望する時、社会も、学会も、ますます多様化していくにちがいない。したがって、山本伸一は、これまで以上に、さまざまな意見を汲み上げ、合議による集団指導体制によって学会を牽引していくべきであると考えていた。もちろん会長はその要となるが、執行部が、しっかりとスクラムを組み、力を合わせ進んでいくことを構想していたのだ。
 また、彼の組織像は、全同志が会長の自覚に立って、互いに団結し合い、活動を推進していくというものであった。
 理事長の十条潔は話を続けた。
 「山本先生は、ご自分でなくとも、会長職が務まるように、制度的にも、さまざまな手を打たれてきたのであります。
 先生は、以前から、私たちに、よく、こう言われておりました。
 『私がいる間はよいが、私がいなくなったら、学会は大変なことになるだろう。だから今のうちに手を打っておきたい。いつまでも私が会長をやるのではなく、近い将来、会長を交代し、次の会長を見守り、育てていかなければならない』
 また、『君たちは、目先のことしか考えないが、私は未来を見すえて、次の手を打っているんだ』とも言われております。
 その先生が、今回、『七つの鐘』の終了という歴史の区切りを見極められ、会長辞任を表明されたのであります」
 この瞬間、誰もが息をのんだ。耳を疑う人もいた。愕然とした顔で十条を見つめる人もいれば、目に涙を浮かべる人もいた。
 十条も万感の思いが込み上げ、胸が詰まったが、自らを励まし、言葉をついだ。
 「先生は、『次の創価学会の安定と継続と発展のために、新しい体制と人事で出発すべきである』と言われ、熟慮の末に会長勇退を決意されたのであります」
 弟子のために道を開くのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延ばしていってこそ、真の弟子なのである。この広布の継承のなかに真実の師弟がある。

新人間革命 大山(38)|2017年2月16日

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四月二十四日午前十時、東京・新宿文化会館で県長会が開催された。同会館は、信濃町の学会本部、聖教新聞社からも、徒歩十分ほどのところにある。統一地方選挙の支援活動を大勝利で終え、全国から集ってきた参加者の表情は晴れやかであった。
 まだ、会場に山本伸一の姿はなかったが、開会を告げる司会の声が響いた。
 冒頭、理事長の十条潔が登壇した。五月三日を前にした新出発の県長会である。しかし、彼の顔には、笑みも精彩もなかった。
 十条は「七つの鐘」の淵源を語り始めた。
 「山本先生は、戸田先生が逝去され、皆が悲しみに沈んでいた一九五八年(昭和三十三年)五月三日の本部総会で、『七つの鐘』の構想を語ってくださいました。かつて戸田先生が、『学会は創立以来、七年ごとに大きな前進の節を刻んできた』と話されたことを確認されて、この年が、『第五の鐘』を鳴らす時であると訴えられたのであります。
 それによって私たちは悲しみを乗り越え、『第七の鐘』が鳴り終わる一九七九年(同五十四年)を目標に、未来に希望を仰ぎ見ながら、新しい出発をいたしました。
 今、その『七つの鐘』が、いよいよ鳴り終わる時を迎えようとしているのであります。今後は、明一九八〇年(同五十五年)から五年ごとのリズムで広宣流布の歩みを進め、さらに二十一世紀から、再び新しい『七つの鐘』を鳴らし、前進していく構想を、先生は既に発表してくださっております。
 山本先生は、会長就任以来、広宣流布の流れを渓流から大河へ、大河から大海へと、大きく発展させながら、時代に即応できるよう、さまざまな改革に着手してこられました。運営面での民主的な下意上達の組織づくりをされ、合議制も深く根差してまいりました。七四年(同四十九年)には代表役員を会長から理事長にするよう推進されました」
 伸一は、未来のために新しい体制づくりを進めてきた。時代即応の適切な布石がなされてこそ、創価学会の永遠の栄えがあるからだ。