新人間革命に学ぶ

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新人間革命 雌伏(66)|2017年6月10日

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新人間革命 雌伏(66)|2017年6月10日

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 山本伸一の会長辞任から、間もなく一年がたとうとしていた。
 しかし、学会を取り巻く状況は、いまだ騒然としていた。宗門として、学会に対する誹謗や中傷はやめ、檀徒づくりをしないと約束したにもかかわらず、若手僧の大多数は、それを無視した。むしろ、この時とばかりに、学会への非道な攻撃を繰り返したのだ。
 学会を敵視する宗門僧の勢力は、ますます増大し、宗内の教師資格をもつ僧のうち、三分の二ほどになっていた。
 彼らは、伸一が会長辞任、法華講総講頭の辞任を発表した直後の一九七九年(昭和五十四年)四月末に、学会批判のために檀徒新聞「継命」を創刊していた。
 さらに、六月に行われた宗会議員補欠選挙に彼らの代表が立候補し、一議席を争うこの選挙で、対立候補を大差で破り、当選を果たしたのである。勢いづく彼らを、学会攻撃へと煽り続けたのが、山脇友政であった。
 若手僧の多くは、少年期に総本山の募集に応じて得度した法主・日達の直弟子であった。しかし、その日達が学会批判を禁じても、宗内で力を得ていった彼らは、聞き入れなかった。
 さらに七月、師僧であった日達が他界し、阿部信雄が日顕を名乗り、法主になると、彼の指導に従おうとはせず、対決姿勢をあらわにしていった。
 年が明けた八〇年(同五十五年)一月には、第四回となる全国檀徒総会が開催された。
 そして二月、次の宗会議員選挙(定数十六)に十六人が立候補することを決めたのである。自分たちが宗会を牛耳り、学会をさらに追い込んでいこうと企んだのだ。実際に彼らが、相当数の議席を獲得しかねない状況であった。
 学会の行く手には、障魔の激浪が牙を剝いていた。日蓮大聖人は、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書一二八二ページ)と叫ばれた。勇気をもって、幾重にも襲い来る怒濤に立ち向かい、乗り越えてこそ、広宣流布の大海に躍り出ることができるのだ。