新人間革命に学ぶ

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 雄飛(27)|2017年7月15日

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 山本伸一は、記念勤行会のあと、関西文化会館内の別会場へ足を運び、集っている同志を励ました。さらに、夕方五時からの記念勤行会にも出席した。
 彼は、ピアノも弾いて激励した。随所で、参加者と記念撮影し、固い握手を交わし続けた。いつの間にか彼の手は、赤く腫れ上がっていた。それでも、同志の輪のなかへと、勇んで突き進んでいったのである。
 また、聖教新聞関西支社にも立ち寄り、記者たちを全力で激励し、関西牧口記念館へ向かった。
 この夜、牧口記念館で伸一は、胸中に新しき旅立ちの銅鑼を響かせながら筆を手にし、魂を注ぎ込む思いで大書した。
 ――「五月三日」
 脇書には、彼にとって節目の五月三日を列記した。「昭和二十六年五月三日」「昭和三十五年五月三日」「昭和五十四年五月三日」「昭和五十八年五月三日」「西暦二〇〇一年五月三日」……。
 昭和二十六年(一九五一年)は、戸田城聖が第二代会長として立った日であり、同三十五年(六〇年)は、伸一が第三代会長に就任した日である。同五十四年(七九年)は、彼が会長を辞任した直後の本部総会の日である。
 戸田の会長就任から三十二年後に当たる昭和五十八年(八三年)、二〇〇一年(平成十三年)の「五月三日」には、“この時を目標に、必ず新たな創価学会の大発展の流れを!”という、金剛の誓いが込められていた。
 さらに、「此の日は わが学会の原点也」「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」と書きとどめた。
 会長辞任から一年。学会を破壊し、学会員を隷属させようとする宗門僧と結託した邪知の反逆者の謀略は、日を追うごとに明らかになりつつあった。第六天の魔王は、仏道修行を妨げ、広宣流布を阻もうとするとの、御書に仰せの通りの姿であった。
 伸一は、常勝関西の地で、新しき勝利の闘争へ、決然と立ったのである。

新人間革命 雄飛(26)|2017年7月14日

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 関西文化会館では、会長の十条潔が出席して、既に記念勤行会が始まっていた。
 山本伸一は、会場である同会館の三階に向かい、勤行会の最後に入場した。皆、今か今かと、伸一の登場を待っていただけに、喜びは一気に爆発した。彼はマイクに向かった。
 「輝くばかりの五月晴れのこの日、『創価学会の日』並びに関西文化会館の落成を記念する勤行会の開催、まことにおめでとうございます。心から祝福申し上げます。
 妙法は、永遠不滅の法である。この妙法を信受したわれわれの生命もまた、妙法と共に永遠であります。その永遠の生命から見るならば、今世は、広宣流布の使命旅の一里塚といえるかもしれない。
 広布の道は、魔との戦いです。御書にも、“八風”に侵されることなく、信心の大道を歩み抜くことの大切さを説かれている。
 この“八風”とは、目先の利益や名誉、称賛、譏り、苦しみ、享楽等々、人心を扇動し、信心を失わせてしまう働きをいいます。
 自分の心を制する人間革命があってこそ、自身の幸福の確立も、広宣流布の前進もあります。私どもは、潔い信心で、この“八風”に打ち勝ち、再び二十一世紀への希望の出発を開始していこうではありませんか!
 大関西は、日本、全世界の模範となり、永遠に広宣流布の先駆となってください。私も関西の皆さんと共に、新しい常勝の歴史を、新しい人生の歴史を、生涯、綴っていく決意であります。
 最後に『関西万歳!』と申し上げて、皆さんの真心に甚深の敬意を表して、あいさつとさせていただきます」
 次いで「常勝の空」の大合唱が始まった。
  
 〽今再びの 陣列に……
  
 常勝の空高く、凱歌は轟いた。それは、衣の権威に抗して、仏法の人間主義の旗を高く掲げ立った、創価の師弟の決起であり、目覚めたる民衆の宗教改革の烽火であった。

新人間革命 雄飛(25)|2017年7月13日

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 山本伸一は、別館の外にある非常階段に向かった。役員の青年が言った。
 「別館の広間の常勝会館は第二会場で、本会場の話を音声で聴けるようになっています」
 「そこにいらっしゃる方々を、まず最初に激励しよう」
 非常階段を上る伸一に峯子も続いた。
 この階段から常勝会館に入るには、内側から鍵を開けなければならなかった。役員の青年が急いで会場に先回りし、人をかき分けてドアまで進み、鍵を開けた。参加者は“何が始まるのだろう”と、その様子を見ていた。
 すると、ギギィーと音をたてて会場前方の扉が開いた。そこには、伸一の姿があった。
 「やあ、お元気!」
 彼は手を挙げ、マイクを手にした。
 熱気に満ちた場内に、どよめきが起こった。待ちに待った瞬間であった。皆、喜びを満面にたたえて、伸一を見つめた。目を潤ませる人もいた。
 「わざわざ駆けつけてくださってありがとう。私と皆さんとの魂の絆は、いかなる権威権力も断つことはできません!」
 ワーッと、会場を揺るがさんばかりの大歓声と大拍手が広がった。
 「学会を支えてくださっているのは誰か。表舞台に立つ人よりも、陰で黙々と頑張ってくださっている方々です。その人こそが仏であり、真の勝利者です。まさに皆さんです。皆さんあっての学会であり、広宣流布です」
 目を腫らしながら、一言一言に大きく頷く同志たちに、伸一は深い親愛の情を覚えながら、力強く呼びかけていった。
 「皆さんは、さまざまな悩み、苦しみと、日々格闘しながら、希望に燃えて折伏・弘教に奔走されている。ここに真実の人間の輝きがあり、これこそが地涌の菩薩の姿です。再び新しい決意で、私と共に前進しましょう!」
 「はい!」という決意の声が響いた。
 別館の外に出ると、さらに同志が集って来ていた。また一緒に記念写真を撮った。
 激励に徹し抜いた。仏に仕える思いで。

新人間革命 雄飛(24)|2017年7月12日

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 五月三日、関西文化会館では、「創価学会の日」記念勤行会が開催されることになっていた。開会は午後一時の予定であった。
 しかし、朝からメンバーは喜々として集い、周辺は、人であふれた。しかも、ほとんどが勤行会の入場整理券を持たない人たちであった。実は、長崎、福岡に学会員の親戚や友人がいる関西のメンバーは、電話で、山本伸一の激励の様子を聞いていたのだ。その話が瞬く間に広がり、皆、伸一に会いたい一心で集って来たのである。
 関西の幹部や運営役員たちは、急遽、対応を協議した。第二会場の文化会館隣の別館四階にも、入場整理券のない人を誘導した。
 伸一が、大阪府豊中市の関西牧口記念館から関西文化会館に到着したのは、午前十一時前であった。彼は、館内にいた役員らを次々とねぎらっていった。
 同志は、熱い求道の心を燃やして、続々と集って来る。安全を確保するため、別館前の門扉が閉められた。
 しばらくすると、伸一が外に姿を現した。大歓声があがった。彼は門扉の外に待機している人を見ると、役員の青年たちに言った。
 「門を開けて入れてあげてください」
 「もう館内に、入れる場所はありません」
 「いいんだ。この広場で激励するから。この方たちこそ、最も大切な方々なんだよ」
 門扉が開くと、待機していた人たちは、躍り上がらんばかりに喜び、構内に入った。通りすがりの人まで後に続く有り様であった。
 伸一は、「ようこそ! 嬉しいです」と言いながら、皆と握手を交わした。何回も何回も、記念のカメラに納まった。
 「あとで写真をお届けできるように、お名前などを控えて!」
 役員に指示が飛ぶ。
 創価班や牙城会など、役員のメンバーとも記念の写真を撮った。伸一の胸中には、“すべての同志を励まさずにはおくものか!”という、炎のような気迫が満ちあふれていた。
 その一念こそが“創価の魂”である。

新人間革命 雄飛(23)|2017年7月11日

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 福岡へ向かう車中、山岡武夫は、宗門僧への憤怒と悔しさを必死に堪えていた。
 山岡が訪ねた住職は、「自分たちから学会員に、脱会して寺につくように言ったりはしない」と言明していた。ところが、卑劣にも、陰で脱会を唆したのだ。その点を突いても、言を左右にするのである。宗門僧の本質を見せつけられた思いがした。
 九州平和会館の管理者室で、山本伸一は山岡の報告を聞いた。
 「疲れただろう」
 伸一は、包み込むように微笑を浮かべ、言葉をついだ。
 「私も、六時間、僧たちと話し合ったこともあるから、よくわかるんだよ。
 大事な、大事な仏子を、断じて守らなければならない。絶対に、皆を幸せにしていくのだ。そのために、体を張って身を粉にして戦う――それが、私の決意です。創価のリーダーの精神です。私に代わって、わが弟子を、わが仏子を守ってください。頼んだよ」
 ほどなく伸一は、九州平和会館を発ち、空路、次の訪問地である関西へ向かった。
 大分の山岡をはじめ、九州のメンバーは、会館の庭に出て大空を仰ぎ、飛翔する飛行機に手を振った。“先生! 九州は勝ちます”と熱く誓いながら。吹き渡る薫風が心地よかった。彼らの誰もが、今、九州の地から、新しい創価の風が起こり始めたことを感じた。
  
 一九八〇年(昭和五十五年)五月三日。
 ――この年二月に、学会は、恩師・戸田城聖が第二代会長に就任し、伸一が第三代会長に就任した「5・3」を、「創価学会の日」と定めた。その初めての「創価学会の日」を、伸一は大阪市天王寺区の関西文化会館で、愛する関西の同志と共に迎えたのだ。
 同会館は、五日前に落成したばかりで、淡いブラウンの外観をした地上五階、地下一階建ての大関西の中心となる新法城であった。
 五月晴れの常勝の空が、美しく広がっていた。今再びの前進が始まろうとしていた。

新人間革命 雄飛(22)|2017年7月10日

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 山本伸一は、五月一日午後、福岡市西区(後の早良区)の九州記念館を訪問。夜には博多区の九州平和会館での福岡県本部長会に出席し、師子の魂を注ぎ込む思いで訴えた。
 「『広宣流布の胸中の旗』を、断じて降ろしてはならない!」
 「『折伏の修行の旗』を、決して降ろしてはならない!」
 「『一生成仏の、信心の炎の光』を消しては絶対にならない!」
 彼は、この言葉を、強く繰り返した。
 本部長会には、宗門との問題で最も苦しみ抜いてきた大分県の代表も参加していた。
 大分県の別府では、寺の住職が「学会は謗法だ!」などと誹謗中傷を重ねた。それにたぶらかされて脱会し、学会を批判するパンフレットを配って回る人もいた。しかし、同志は、そのなかで、団結を固め、毅然として創価の正義を叫び抜いてきたのだ。
 伸一は、大分の同志と、平和会館のロビーで記念のカメラに納まった。
 「苦労した分だけ、信心は磨かれ、輝きを放つ。あなたたちの戦いは、広宣流布の歴史に永遠に残るよ」
 「先生! 大分に来てください!」
 皆が口々に言った。その目に涙が滲んだ。
 伸一は、深く頷いた。
 この福岡滞在中、学会員は、続々と九州文化会館や九州平和会館、九州記念館に集って来た。「会館に行けば、先生にお会いできる」との話が流れていたのだ。
 タクシーや自転車で乗り付ける人もいた。ジャージー姿のまま家を飛び出してきた人もいた。二日昼、彼が福岡を発つまでに会った同志の数は二万人を超えた。
 出発前、大分県の壮年部書記長の山岡武夫が、平和会館にいた伸一を訪ねてきた。
 彼は、県内の住職が学会員の功労者に脱会を唆したという急報を受け、寺に抗議に出向いた。語らいは深夜に及び、それから列車を乗り継いでやって来たのだ。攻防戦の渦中にあって、最も大切なのは迅速な行動である。

新人間革命 雄飛(21)|2017年7月8日

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 三十日の夕刻、山本伸一は福岡市博多区の九州文化会館(後の福岡中央文化会館)に着いた。車を降りて最初に向かったのは、会館に集って来た同志のところであった。
 多くの人たちは、会館には来たものの、伸一とは会えないのではないかとの思いがあった。それだけに、彼が皆のところへ足を運び、「ありがとう! 皆さんは勝ったんです」と声をかけると、喜びが弾けた。
 伸一の手を握り締めて離さぬ壮年や老婦人もいた。一人の婦人が、持参してきた雑誌を見せながら、「念願の料理店を開きました。店が雑誌に紹介されています。ぜひ来てください」と語ると、伸一は「お伺いしますよ」と笑顔を向けた。
 なんの分け隔てもない、信心で結ばれた人間の絆――これが“創価家族”である。
 翌五月一日も、九州文化会館には、早朝から大勢の同志が訪ねて来た。伸一は、会員の姿を見ると、「どうぞ、こちらへ」と言ってねぎらい、握手を交わし、記念のカメラに納まった。その人数がどんどん増えていった。運営にあたる男子部幹部は困惑した。
 “これでは対応しきれない。何よりも、先生がお疲れになってしまう!”
 彼は、来館者が、なるべく伸一に会わないように誘導していった。だが、それに気づいた伸一は、あえて厳しい口調で言った。
 「求めて会いに来た方々を、さえぎる権利など誰にもないよ」
 会長辞任以来一年、思うように学会員と会えないなかで、満を持して開始された激励行である。全同志と会い、全精魂を注いで励まそうというのが、伸一の決意であった。
 男子部の幹部は、師の心を十分に汲み取ることのできなかった自身を恥じた。
 この日、伸一は、「ぜひ来てください」と言っていた婦人部員の料理店にも足を運んだ。死力を尽くす思いで、一人でも多くの同志と会っていった。反転攻勢の「時」を、断じて逸するわけにはいかなかった。“師子よ立て! 今が勝負だ!”――彼は心で叫び続けた。