人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 雌伏 の章

新人間革命 雌伏(38)|2017年5月9日

午後六時半、山本伸一は、荒川文化会館を出発し、鼓笛隊総会の会場である荒川区民会館へ向かった。 車に乗る時、同行の幹部が言った。 「ここから二百メートルほど行きますと隅田川です。川の向こうは足立区になります」 「そうか、足立か。できることなら、…

新人間革命 雌伏(37)|2017年5月6日

荒川文化会館に到着した山本伸一は、集っていた鼓笛隊のメンバーらと共に勤行し、鼓笛隊総会の成功、そして、鼓笛の乙女らの成長と幸せを願い、深い祈りを捧げた。 また、荒川のメンバーの代表とも懇談し、活動の模様などに耳を傾けた。話題が一九五七年(昭…

新人間革命 雌伏(36)|2017年5月5日

同志の中へ、心の中へ――山本伸一は、日々、激励行を重ねていった。それは、創価の新しき大地を開くために、語らいの鍬を振るい続ける、魂の開墾作業でもあった。 激動の一九七九年(昭和五十四年)は師走に入り、慌ただしい年の瀬を迎えた。 十二月二十六日…

新人間革命 雌伏(35)|2017年5月4日

山本伸一は、青年たちと、忌憚なく話し合えることが何よりも嬉しかった。 伸一は、彼らに大きな期待を込めて語った。 「青年には、学会の後継として、一切を担っていく重大な使命がある。 ゆえに、戸田先生は、青年を本気で育てようと訓練された。とりわけ、…

新人間革命 雌伏(34)|2017年5月3日

青年たちは、山本伸一の言葉に大きく頷いた。質問した学生部の幹部が語り始めた。 「確かに、“優秀で、すごいな”と思っていたのに、退転していった人を見てみると、自分中心でした。自己顕示欲が強く、皆と協調できず、先輩たちとも心を合わせていくことがで…

新人間革命 雌伏(33)|2017年5月2日

山本伸一の声に一段と熱がこもった。 「次いで大聖人は、『異体同心にして』(御書一三三七ページ)と仰せです。『異体』とは、一人ひとりの個性や特質を尊重することであり、『同心』とは、広宣流布という同じ目的に向かい、心を一つにしていくことです。た…

新人間革命 雌伏(32)|2017年5月1日

青年たちは、真剣な眼差しで山本伸一を見つめ、言葉を待った。 「今日は、将来のために、広宣流布をめざすうえでの、最第一の鉄則とは何かを、あえて言い残しておきます。 それは、金剛不壊の異体同心の団結です。 大聖人は、こう仰せになっている。 『総じ…

新人間革命 雌伏(31)|2017年4月29日

山本伸一は、言葉をついだ。 「意見というのは、人の数だけあるといっても過言ではない。ましてや世代などが違えば、意見は異なって当然です。 座談会のもち方一つでも、平日の夜がいいという人もいれば、土曜や日曜の夜がいいという人もいる。日曜の昼がい…

新人間革命 雌伏(30)|2017年4月28日

青年たちは、真剣な顔で、山本伸一の話に耳を澄ましていた。 「青年幹部の側は、先輩の壮年や婦人の幹部に賛成してもらうためには、まず、説得力を培っていくことです。 それには“なぜ、それが大事なのか”を、明快に、理路整然と説明できなくてはならない。…

新人間革命 雌伏(29)|2017年4月27日

山本伸一は、来る日も来る日も、神奈川研修道場や新宿文化会館などで、各地や各部の代表らと懇談し、指導・激励を続けた。 一部の週刊誌などは、相変わらず学会批判を続け、捏造、歪曲した報道も盛んであった。しかし、伸一は、悠然と、太陽が己の軌道を黙々…

新人間革命 雌伏(28)|2017年4月26日

山本伸一は、十一月十六日の本部幹部会は学会創立四十九周年を記念する式典であるだけに、わずかな時間でも出席し、同志と共に新しい広宣流布のスタートを切りたかった。 彼は、会合の途中で入場した。大多数の参加者が、久しぶりに伸一の姿を目にした。揺る…

新人間革命 雌伏(27)|2017年4月25日

十一月十六日、創価学会創立四十九周年を記念する本部幹部会が、東京・巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。 講堂の立つ豊島区には、初代会長・牧口常三郎と第二代会長・戸田城聖が軍部政府の弾圧によって投獄された東京拘置所があった。牧口は、ここで殉難…

新人間革命 雌伏(26)|2017年4月24日

若い力が育てば、未来は希望に光り輝く。 九月の創価大学の訪問で山本伸一は、試合を控えたラグビー部のメンバーや、野球部、卓球部の代表とも記念のカメラに納まった。 十月には、創価大学の体育大会に臨み、閉会式であいさつした。社会にあって、あらゆる…

新人間革命 雌伏(25)|2017年4月22日

山本伸一は、創立者として創価大学、創価高校・中学、東京創価小学校の諸行事等にも、極力、出席するように努めた。彼は、人生の最後の事業と定めた教育に、今こそ、最大の力を注ごうと決意していたのである。 九月には、創大生や学園生の代表と一緒に、国立…

新人間革命 雌伏(24)|2017年4月21日

山本伸一の功労者宅を中心とした家庭訪問は続いた。「敬老の日」である九月十五日には、東京・狛江の草創の同志の家を訪ね、家族と和やかに懇談し、皆で記念のカメラに納まった。五月以来、既に三十軒目の家庭訪問となっていた。さらに、狛江文化会館を訪れ…

新人間革命 雌伏(23)|2017年4月20日

山本伸一は、長野の同志に対して、全精魂を注いで激励に次ぐ激励を重ね、八月二十八日、敢闘の九日間を過ごして東京へ戻った。 この長野訪問は、長野広布の歩みのうえでも、創価学会の歴史のうえでも、時代を画する新しいスタートとなった。しかし、それが「…

新人間革命 雌伏(22)|2017年4月19日

八月二十七日、山本伸一は、長野研修道場から小諸文化会館を訪れた。ここでも三回にわたって、三百人ほどの人たちと記念撮影をし、さらに代表と勤行し、懇談した。 伸一は、どこまでも題目第一に、「勇敢なる信心を! 地道なる信心を!」と訴えた。 研修道場…

新人間革命 雌伏(21)|2017年4月18日

山本伸一が激励した人のなかに、佐久から来た柳坂亘・志津夫妻がいた。二人は、研修道場の庭の整備のために、伸一の滞在中も、連日のように通って来ていたのである。 亘は、六十歳前後の造園業を営む壮年であった。伸一は夫妻に言った。 「研修道場を大切に…

新人間革命 雌伏(20)|2017年4月17日

三台の撮影台を使って写真撮影が行われたが、長野研修道場は長蛇の列が途切れることはなかった。飯山、長野、上田から、穂高、松本から、塩尻、諏訪から、飯田、伊那から、続々と同志は集って来た。 山本伸一は、記念撮影が終わるたび、皆に声をかけ、語り合…

新人間革命 雌伏(17)|2017年4月13日

蔵林龍臣は七十一歳であり、五人の子どもたちも、広宣流布の庭で活躍していた。この日も、アメリカに永住している四男以外は元気に集い、孫も含め、賑やかに山本伸一と峯子を迎えてくれた。 蔵林は、伸一を床の間の前に案内した。 「こちらにどうぞ!」 「そ…

新人間革命 雌伏(19)|2017年4月15日

長野研修道場には、三台の撮影台が設置されていた。 午後一時前、山本伸一は、「さあ、戦いの開始だ!」と峯子に言うと、ポロシャツ姿で皆の待っている研修道場の前庭に飛び出していった。 「お待ちしていました。ようこそおいでくださいました。二十一世紀…

新人間革命 雌伏(18)|2017年4月14日

蔵林家では、主の龍臣と妻の芳乃の孫たち十人が、琴やハーモニカ、横笛の演奏、合唱などで、山本伸一たちを歓迎した。 子どもから孫へと信心が受け継がれ、すくすくと育っている未来っ子の姿が微笑ましかった。仏法が、地域へ、社会へと広まり、そして子ども…

新人間革命 雌伏(16)|2017年4月12日

山本伸一は、石塚勝夫に言った。 「お父さん、お母さんを、生涯、大切にするんですよ。父母の恩に報いることから、人間の道は始まります。報恩の心を忘れない人が、真の仏法者なんです」 さらに、個人会館を提供してくれていることへの感謝を伝えながら、日…

新人間革命 雌伏(15)|2017年4月11日

昼前から降りだした雨は、次第に雨脚が強くなっていた。 山本伸一は、佐久市の功労者宅を訪問するため、長野研修道場を出発した。 雨のなか、翌日の記念撮影のために、青年たちが県道沿いの空き地で草刈りをしていた。 伸一は、同行していた幹部に言った。 …

新人間革命 雌伏(14)|2017年4月8日

山本伸一は、入会三十二周年となる八月二十四日を、長野研修道場で迎えた。新しい決意で出発を誓い、真剣に勤行した。 昼過ぎには、青年たちと自転車で周辺を回った。戸田城聖が最後の夏を過ごした地を巡ることで、在りし日の恩師を偲びたかったのである。 …

新人間革命 雌伏(13)|2017年4月7日

山本伸一の心からの願いは、皆が強盛に信心を貫き、幸福になることだけであった。 退転・反逆者や宗門僧は、創価の師弟を分断しようと、伸一が会合で指導したり、「聖教新聞」に登場したりできないように陰で画策を進めてきた。その逼塞した状況のなかで、暗…

新人間革命 雌伏(12)|2017年4月6日

田森寅夫は、歯を食いしばりながら信心を続けていくと、学校に給食のパンを卸せるようになり、また、外国人客も増えていった。さらに、大手の洋菓子店へも卸すことになり、彼の店は、軽井沢を代表する老舗のベーカリーとして評判になっていった。 彼は、商売…

新人間革命 雌伏(11)|2017年4月5日

二十一日夜の懇談の折、山本伸一は、軽井沢支部の初代支部長・婦人部長を務めた田森寅夫と妻のタミとも語り合った。 寅夫は、一流ホテルで修業を積んだパン職人で、心臓病で苦しんでいたタミが信心し、元気になっていく姿を目の当たりにして、一九五五年(昭…

新人間革命 雌伏(10)|2017年4月4日

残暑の東京を発って二時間半、夜霧に包まれた軽井沢は肌寒かった。 山本伸一が長野研修道場に到着すると、地元の幹部や役員など、数人が出迎えた。会長を辞任したあと、「聖教新聞」などの機関紙誌で、彼の行動が報じられることは、ほとんどなかったためか、…

新人間革命 雌伏(9)|2017年4月3日

山本伸一は戸田城聖から軽井沢に招かれ、戸田の小説『人間革命』の感動を語りながら、深く心に期すことがあった。 ――戸田の『人間革命』は、彼の分身ともいうべき「巌さん」が、獄中で、生涯を広宣流布に生き抜く決意をしたところで終わる。 一九四五年(昭…