人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 雌伏(65)|2017年6月9日

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 「それでは、一緒に勤行しましょう」
 山本伸一は、「勇将グループ」のメンバーらと共に勤行し、皆の健康と一家の繁栄、目黒創価学会勝利を真剣に祈念した。
 その後、婦人部、女子部の幹部らと懇談した。区の婦人部長からは、特に伸一の会長辞任後、激しさを増す寺の学会批判のなか、一人も同志を落とすまいと、個人指導に全力を注いでいることが報告された。
 「苦労をかけるね。辛いだろうが、今が正念場だよ。必ず事態を打開していくから、すまないが頑張ってほしい」
 伸一の言葉に、彼女は目を潤ませた。
 「先生、私たちは負けません! 大切な同志を、守り抜いてみせます」
 「ありがたいね。頼みます」
 すると、区の女子部長が言った。
 「女子部は今、活発に部セミナーを開催して、折伏・弘教を推進しております。信心する友人も増え、皆が歓喜に燃えています」
 「すごいね。新しい時代が来たね。時代は創るものだ。一緒に築き上げようよ」
 伸一は、嬉しかった。
 彼と峯子が一九五二年(昭和二十七年)五月三日に結婚し、新生活のスタートを切ったのが目黒区三田であった。戸田城聖の家にも近かった。夫婦して師を守り、学会の未来を開こうと誓い合い、広布の新たな歩みを開始していったのだ。その目黒の青年たちが、吹雪に胸を張り、進むように、喜々として弘教に励んでいることに喜びを覚えたのである。
 語らいのあと、伸一は、二階の広間に向かった。既にセミナーは終わっていたが、役員をはじめ、各部のメンバーが残っていた。彼は、ここでも皆と記念撮影し、さらに、「うれしいひなまつり」「月の沙漠」「人生の並木路」をピアノ演奏した。
 「皆さんへの、せめてもの励ましとして、ピアノを弾かせていただきました。何があっても、堂々と勇気をもって進もう!」
 試練の嵐のなかで、同志は奮戦していた。創価の新しき力の胎動が始まっていたのだ。

新人間革命 雌伏(64)|2017年6月8日

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 山本伸一は、勇将グループのメンバーと、目黒平和会館の階段で記念のカメラに納まった。そして、目黒長の佐々井幸啓に言った。
 「活動は明るく、はつらつと進めていくんだよ。みんな、ありのままでいいんです。
 リーダーは、画一的に物事を進めるのではなく、どうすれば、それぞれの人が自分らしく、伸び伸びと、最も力を発揮していけるのかを考えていくことです。
 また、前進の牽引力となるのは、リーダーの率先垂範です。自分の行動と情熱、真剣さで、皆を触発していくんです。同志の心に歓喜と闘魂を燃え上がらせるのが勇将です」
 以来、十一カ月ぶりの訪問であった。
 会館のロビーには、子どもたちの声が弾み、何人もの壮年や婦人の姿があった。これから二階の広間で、柿の木坂支部支部セミナーが開催されるという。
 「皆、大変ななかで、胸を張って頑張っているんだね。嬉しいね」
 彼は、子どもたちも含め、そこにいたメンバーと一緒に写真を撮った。
 会館の三階に上がると、二十人ほどの壮年が集っていた。なんと、あの「勇将グループ」の研修会であった。
 責任者を務める本部長の勝田常一が、感極まった顔で言った。
 「先生! ありがとうございます」
 「不思議だね。また、『勇将グループ』の皆さんとお会いできるなんて」
 「前回、記念撮影していただいたメンバーは卒業し、今回は、新しいメンバーが集っています」
 「すばらしいことだ。陸続と人材が育っていってこそ、広宣流布の前進はある。現状維持は停滞です。創意工夫をかさね、常に現状を打破し、希望へ、勝利へ、未来へと進んでいく力が信心です。どうか、一人立つ一騎当千の人材を育て続けてください。目黒は全員が勇将となり、常に勝利の大道を開き、その精神を世界に伝え抜いてほしい。
 『勇将・目黒』万歳だ!」

新人間革命 雌伏(63)|2017年6月7日

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山本伸一は、奄美のメンバーを見送ると、東京・世田谷区の功労の同志夫妻を訪ねた。一家は、目黒区内で焼き鳥店を営んでおり、開店前のひととき、その店舗で懇談した。
 彼は、集っていた家族の近況に耳を傾けながら、人生には幾つもの苦難の坂があり、信心根本にそれを乗り越えていくなかに、一生成仏への確かな道があると語るなど、励ましを重ねた。
 このあと、目黒平和会館(後の目黒国際文化会館)へ向かった。目黒区の宗門寺院では、前年一月から、学会への激しい誹謗・中傷が繰り返されていた。一途に広宣流布に走り抜いてきた同志は、身勝手な学会批判に、地団駄を踏む思いであった。そのなかで、正義の勝利を確信し、活動に励んできたのだ。
 伸一は、前年の三月十一日にも、同志の激励のために目黒平和会館を訪れていた。会長辞任の一カ月余り前のことである。その時、一階に居合わせた高等部員に声をかけた。
 「未来は君たちのものだ。やがて広宣流布のいっさいを担って、活躍する時代が来る。そのために、今は、しっかり勉強して、力をつけ、時が来たら、社会のため、民衆のために、さっそうと戦っていくんだよ。二十一世紀の君たちの雄姿を楽しみにしています」
 そして、階段を上がり始めると、ちょうど壮年たちが下りてきた。若手壮年の人材育成グループのメンバーであるという。
 「なんという名前のグループなの?」
 伸一が尋ねると、先頭にいた壮年が、胸を張って答えた。
 「『勇将グループ』です」
 「いい名前だね。中心者はどなたですか」
 「私です!」と、その壮年が言った。
 「お名前は?」
 「勝田常一と申します」
 眉毛の太い、凜々しい顔立ちの四十過ぎの丈夫である。
 「『勇将』に『勝田』――すばらしいね。勇将というのは、吹き荒れる烈風に勇み立つ人だ! 困難に闘魂を燃やす人だ!」

新人間革命 雌伏(62)|2017年6月6日

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セミナー会場は、奄美の女子部の登場に沸き返った。南海の島々で、喜々として信心に励む若きメンバーを目の当たりにして、参加者は新鮮な驚きを覚えたようだ。彼女たちが奄美を詠った「島育ち」「月の白浜」の歌を披露すると、大拍手が起こった。
 山本伸一は、セミナーから戻ってきた奄美の女子部長の長田麗や女子部の幹部らと、さらに懇談を重ねた。長田は加計呂麻島で教員をしている女子部員の活躍や、東京に来ることを強く希望しながら、今回は参加できなかったメンバーの様子を伝えた。
 伸一は、「そうか、そうか」と、うなずきながら、報告に耳を傾けた。
 また、彼の方からは、壮年・婦人の中心者や草創の同志、会館の管理者などの近況を、次々と尋ねていった。
 「元気に頑張っているんだね。嬉しいね」
 そして、一人ひとりへの伝言と、書籍などの激励の品を、彼女に託したのである。
 伸一は、語った。
 「皆さんの住むそれぞれの島や地域は、小さいかもしれない。しかし、そこを広宣流布の模範の地にしていくならば、奄美は世界中の同志の希望の星となります。それは、皆さんが先頭に立って、世界の広宣流布を牽引していることになる。したがって、わが地域広布は即世界広布なんです。
 今いる場所こそ、使命の天地であり、幸福の常寂光土であると定め、仲良く前進していってください。日蓮大聖人は、『此を去って彼に行くには非ざるなり』(御書七八一ページ)と仰せです。皆さんの力で、奄美から二十一世紀の広布の新風を起こしてください。
 奄美、頑張れ! 負けるな、奄美!」
 さらに伸一は、皆が立川文化会館を出発する時には、外に出てバスを見送った。
 奄美は、彼の期待通り、日本一の模範の組織となっていく。この時に集った友は、「あの激励が生涯の宝になりました」と語る。
 友の幸せを願う励ましの言葉は、蘇生の光となって、勇気と力を呼び起こす。

新人間革命 雌伏(61)|2017年6月5日

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奄美の女子部の代表が、「先生! これは私たちの気持ちです!」と言って、沖永良部島フリージアと、奄美大島の緋寒桜を、山本伸一に差し出した。
 「ありがとう! 一足早い春の到来だね。百花繚乱の春は幸せの象徴だ。みんなも、必ず幸せになるんだよ。私は、その姿を見ることがいちばん嬉しいし、それが、信心の正しさの証明になるんです。どうか皆さんは、それぞれが日本一、世界一、幸せになることを誓ってください。幸福のための信心であり、学会活動であり、広宣流布なんです」
 伸一は、こう言うと、和歌を認めた色紙をメンバーの代表に手渡した。
  
  はるばると
   奄美の乙女の
      集いける
   此の日の歴史
     諸天も讃えむ
   
 「では、みんなで、幸せになるとの誓いを込めて、記念写真を撮りましょう」
 二組に分かれ、カメラに納まった。彼は中央に座るのではなく、メンバーを見守るように、後ろ端に立った。
 撮影が終わると、彼は言った。
 「皆さんの求道心あふれる姿は、創価学会の希望です。何があっても揺るがない、皆さんの強く清らかな信心こそ、二十一世紀を開く力です。朗らかに、堂々と胸を張って、前進していきましょう」
 また、館内で、「健康セミナー」が開催されていることを聞いた彼は、居合わせた幹部に言った。
 「せっかく奄美から女子部が来てくれたんだから、セミナーで皆さんを紹介し、交歓のひとときをもってはどうだろうか。きっと、参加者も喜ぶと思うが」
 伸一は、東京で、一つでも多くの思い出をつくってもらいたかった。彼女たちの求道の真心に最大の誠意で応えたかったのである。

新人間革命 雌伏(60)|2017年6月3日

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山本伸一は、奄美の女子部員たちを、立川文化会館の玄関ロビーで迎えた。
 「やぁ、よく来たね! 遠いところ、ご苦労様! ゆっくりしていってください。
 お父さん、お母さんは元気かな。最も辛い、苦しい思いをしながら、広宣流布の道を開いてこられた奄美の方々のことを、私は決して忘れていません。お帰りになったら、くれぐれもよろしくお伝えください。
 みんなは福運があるんだよ。草創の同志が迫害と戦い、それこそ、命がけで学会の基盤をつくってくださった。その土台の上で、伸び伸びと、楽しく、学会活動に励めるんだもの。お父さん、お母さんの苦労、努力を、決して忘れてはいけないよ」
 伸一は、車イスに乗ったメンバーがいるのを目にすると、すぐに歩み寄り、声をかけた。
 「本当によく来たね! 待っていたよ」
 彼女は、徳之島から来た女子部員で、脳性麻痺のため、しゃべることにも、歩くことにも困難が伴った。しかし、“なんとしても、東京の創価女子会館に行きたい。山本先生と会って、広宣流布への誓いを新たにしたい”と決意し、懸命に唱題に励んできた。
 また、東京へ行くと決めてからは、言語訓練にも、歩行訓練にも力を注いだ。ゆっくりとなら単独歩行もできるまでになった。
 伸一は、力を込めて語った。
 「もう、大丈夫だ。必ず幸せになるよ」
 人は、病だから不幸なのではない。病があろうが、希望をいだき、挑戦の心を燃やし、自分に敗れなければよいのだ。彼女は、障がいに負けることなく、広宣流布の使命に生き抜こうとしていた。それ自体、既に自分に打ち勝っていることなのだ。信心とは挑戦の力だ。信心ある限り、前途に輝くのは、勝利と幸福の栄冠である。したがって伸一は、「必ず幸せになる」と断言したのだ。
 その女子部員は、伸一を見詰め、目に涙を浮かべて、大きく頷くのであった。
 やがて彼女は結婚もし、子宝にも恵まれ、夫妻で確かな幸の道を歩んでいくのである。

新人間革命 第17巻のあらすじ(各章要旨)

新・人間革命 第17巻の各章ごとのあらすじ(要旨)は以下のとおり。

本陣 あらすじ

「広布第2章」に入って初めての新年である1973年(昭和48年)「教学の年」が明けた。山本伸一は、「広布第2章」とは仏法を基調とした社会建設の時ととらえ、広宣流布の大闘争を決意する。この年は別名「青年の年」。伸一は、仏法の多角的な展開を担う、青年たちに強く訴えた。-- 師弟の道を歩め。社会に開く“遠心力”が強くなるほど、仏法への“求心力”が必要であり、その中心こそ師弟不二の精神だ、と。また、伸一が当面の大テーマとしていたのが、本陣・東京の再構築だった。1月に新宿、練馬の友を激励したあと、2月に入ると、まず中野へ。参加した中野の青年たちに、30年間、毎年集うとともに、メンバーで「中野兄弟会」を結成することを提案。

伸一の足跡は、2、3月にかけて、港、渋谷、世田谷、千代田、杉並、目黒、さらに多摩方面の第2東京本部へと及び、地域ごとの特色を大切にした激励を重ねる。ここに「東京革命」の烽火が燃え上がった。日本の政治・経済の中心である首都・東京で、難攻不落の大城を構築し、世界の立正安国の基盤を築く戦いが、伸一の手で着々と進められていったのである。

希望 あらすじ

“教育はわが生涯をかけた事業”と、創価教育に全精魂を注ぐ伸一は、4月11日、大阪・交野市に誕生した創価女子中学・高校(当時)の入学式へ。交野は、豊かな自然に恵まれ、古くは和歌等にもうたわれたロマンの天地である。伸一は自らこの場所を選び、1969年(昭和44年)に建設計画を発表して以来、最高の教育環境を整えるために、真剣に心を砕いてきた。

関西の学会員も、その伸一の心に応え、用地の草取りなど、喜び勇んで支援してくれた。そして迎えた入学式。 全国から集まった生徒たちに向かって伸一は、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことをしない」という信条を培うよう期待を寄せる。

式典終了後の語らいでは、帰りが遅くなる時は、家に電話を入れること、いつでも電話ができるように10円玉を持っておくことなど、具体的なアドバイスを行うのだった。伸一の限りない期待を強く感じ取った生徒たちも、通学途中に行き交う人々へのあいさつの励行や、最寄りの駅に花瓶と花を贈るなど、学園のよき伝統をつくるために努力を重ねる。こうした行動に、学園生への地域の信頼と共感が広がっていった。また、伸一は、多忙な行事を縫って学園を訪れ、生徒のなかに飛び込んでいった。

長男の正弘は、創価教育への父の志を受け継ぎ、創価女子学園の教員に。後に、伸一の二男、三男も創価教育に従事していった。創価女子学園は82年(同57年)、男子生徒を受け入れ、新スタート。女子生徒たちが真剣に取り組んだ「よき伝統」は大きく開花し、日本を代表する人間教育の城となっていく。

民衆城 あらすじ

「広布第2章」の大空への飛翔は、全同志の“信心のエンジン”を全開にする以外にない。4月から5月にかけて、伸一は一瞬の機会も逃さず、同志のなかへ飛び込んでいく。東京・荒川の同志と出会えば、瞬時に励ましの懇談会に。荒川は、57年(同32年)8月、伸一が夏季ブロック指導の最高責任者として、弘教の指揮をとった地であった。その前月、伸一は無実の罪により、大阪で不当逮捕された(大阪事件)。荒川の地は、学会と民衆を苦しめる権力の魔性への、反転攻勢の舞台となったのだ。

4月の本部幹部会では墨田へ。ここもまた、53年(同28年)、伸一が男子部の第1部隊長を務めた時、広布拡大に走り抜いた地だった。その激闘を振り返りながら、民衆勝利の方程式が、感動的に示されていく。伸一の東京各区の激励は続く。渋谷の後、生まれ故郷の大田へ、文京支部長代理時代に縁の深かった豊島へと、休みなく走った。

5月8日からは欧州へ飛んだ。フランスでは、「第三文明絵画・華展」やパリ大学へ。さらに、「ヨーロッパ会議」を設立する。英国へ渡ると、前年に引き続きトインビー博士と対談。帰国の途次には、経由地のオランダでメンバーを激励。希望の民衆城を築く、伸一の奮闘は続いた。

緑野 あらすじ

伸一は、東京に続き、各方面・県の強化の第一歩として福井県へ。福井は空襲、地震、台風など幾度も大災害に見舞われた。その国土の宿命転換のために必要なのは、まず人々の“心の変革”であった。県幹部総会に出席した伸一は、福井の伝統に新たな光をあてて郷土の誇りを掘り起こし、「福井のルネサンスを!」と力説。学会員こそ地域繁栄の主役との深い自覚を促していったのである。また席上、伸一は、13年前、夜行列車に乗った伸一に会おうと、深夜に敦賀駅に来たが、対面できなかった同志に励ましの言葉を。終了後には、福井長を務める青年に、指導者の在り方を語る。

伸一の激闘は、妻・峯子が戦時中に疎開していた岐阜県にも。県幹部会では、「一人立つ」と題した、青年部の創作劇が感動を呼ぶ。“命ある限り戦う”との叫びに、伸一は、これが学会精神だと伝言を。会合では、一人一人の社会での勝利の実証が学会の正義の証明になると訴えた。また岐阜本部では、聖教新聞の記者・通信員に激励を重ねる。 皆の胸中に使命の種子を、勇気の種子を植え続けることが、希望の緑野を広げると確信していた伸一は、群馬県へ。群馬が“地方の時代”の先駆を切り、広布のモデル県になるよう期待を寄せ、地元の交響楽団で活躍する友を励ます。さらに茨城に続いて、北海道を訪問。ここでは「広宣流布は北海道から」との指針を贈る。

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新人間革命のあらすじ 第17巻は全4章

  1. 新人間革命 あらすじ 本陣の章
  2. 新人間革命 あらすじ 希望の章
  3. 新人間革命 あらすじ 民衆城の章
  4. 新人間革命 あらすじ 緑野の章

新人間革命 雌伏(59)|2017年6月2日

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 奄美の女子部員が、フェリーで奄美大島の名瀬港を発ったのは、二月十五日の午後九時過ぎであった。
 星々が、微笑むように夜空に輝いていた。
 フェリーに十一時間揺られ、十六日朝、鹿児島に着き、空路、東京へ向かった。
 羽田空港に到着したのは、午後一時過ぎであった。そこから、奄美と交流のある江戸川区を訪れ、同区の女子部との交歓会、セミナーに参加し、夜、遂に念願の創価女子会館の前に立ったのである。気温は摂氏二度。吐く息が白い。二月の平均気温が一五度を上回る奄美では、体験したことのない寒さである。しかし、皆の心は燃えていた。
 山本伸一は、彼女たちが奄美大島を出発したことを聞くと、無事を祈念して唱題した。そして、南海の友には、東京の寒さは体にこたえるだろうと、温かいお汁粉を振る舞うように手配したのである。
 創価女子会館でメンバーは、伸一の心尽くしのお汁粉に歓声をあげ、舌鼓を打った。
 また、前年の五月に女子部長になった町野優子を中心に勤行を行い、誓いを果たした“勝利の青春”の喜びを嚙み締めた。さらに、会長の十条潔から、伸一の、奄美の同志への大きな期待を聞き、師との出会いに胸を躍らせるのであった。
 翌十七日、午前中は、学会本部や聖教新聞社などを見学し、午後、貸し切りバスで、伸一のいる立川文化会館をめざした。
 「奄美の女子部は、まだかね」
 伸一は会館で、一行の到着を待ちながら、周囲の幹部に何度もこう尋ねた。
 交通の便もよくない離島にあって、ハブにも注意しながら夜道を歩き、同志の激励に、仏法対話に取り組んできた女子部員の奮闘を思うと、早く励ましたくて、じっとしてはいられない思いにかられるのだ。
 信心は、年齢でも立場でもない。広宣流布のために、健気に戦い、未来への門を開く人こそが、最も大切な創価の宝である――それが伸一の実感であり、信念であった。

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新人間革命 雌伏(58)|2017年6月1日

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 長田麗は、宗門による学会批判が激しさを増した時、地元寺院の住職の妻から呼び出された。学会の悪口を聞かされ、宗門につくのか、学会につくのかを迫られた。
 彼女は、毅然として言った。
 「私たちに信心を教えてくれたのは学会です。私たちを励ましてくれたのも、山本先生であり、学会です。宗門ではありません!」
 奄美に脈打つ、「スットゴレ!」(負けてたまるか!)の敢闘精神は、次代を担う若き世代に、しっかりと受け継がれていたのだ。
 山本伸一の会長辞任は、奄美の女子部員にとっても、衝撃的な出来事であった。
 長田は、皆に訴えた。
 「今こそ私たちは、創価の勝利を打ち立てて、東京へ、創価女子会館へ、山本先生のもとへ行きましょう!」
 彼女は、女子部員の激励に、島から島へと走った。ひとことに奄美大島地域本部といっても、その範囲は広い。有人島だけでも、彼女の住む奄美大島をはじめ、八島がある。奄美大島からは、徳之島まで船で三時間、沖永良部島まで五時間半、与論島までは七時間もかかる。こうした島々で、広布の誓いに燃える若き女性リーダーたちが、はつらつと正義と希望の行進を開始したのだ。
 どんなに地理的に遠い地域にいても、広布に進む師弟に心の距離はない。広大な海も、峨々たる山々も、師弟の心を引き離すことはできなかった。その魂の絆は、むしろ、強く、深く、結ばれていったのだ。
 一九八〇年(昭和五十五年)二月十七日午後、二台のバスに分乗した奄美大島地域本部の女子部員が、山本伸一のいる東京・立川文化会館に到着した。メンバーは、奄美大島加計呂麻島、徳之島、沖永良部島から参加した総勢八十六人である。
 奄美の女子部として未曾有の弘教に挑戦し、勝利の歴史を開いて集ってきた法友の顔は、晴れやかであった。戦う人は美しい。その生命には、歓喜の光彩があるからだ。

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新人間革命 雌伏(57)|2017年5月31日

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 かつて奄美大島の一部の地域で、学会員への激しい迫害事件があった。村の有力者らが御本尊を没収したり、学会員の働き場所を奪ったりするなどの仕打ちが続いた。生活必需品も売ってもらえなかった。車を連ねて学会排斥のデモが行われたこともあった。
 奄美の女子部員は、少女時代に、そうした逆風のなかで、父や母たちが悔し涙を堪え、自他共の幸せを願って、懸命に弘教に励む姿を目の当たりにしてきた。
 奄美大島地域本部の女子部長である長田麗も、その一人であった。父親は、彼女が一歳の時に船の遭難事故で他界していた。病弱な母親が、和裁の仕事をして、女手一つで彼女と姉を育てた。暮らしは貧しかった。
 一家は、一九五八年(昭和三十三年)に入会する。母は“自分たちが宿命を転換し、幸せになるには、この信心しかない”と、真剣に学会活動に取り組んでいった。
 すると、日々の生活に張り合いと希望を感じ、体調も良くなり、次第に、確信が芽生えていった。母は、口数の少ない人であったが、小学生の麗を連れて弘教に歩いた。旧習の根深い地域である。訪ねた家で返ってくるのは、決まって蔑みの言葉であり、嘲りであり、罵倒であったが、母は負けなかった。
 「学会の信心は絶対に正しい。やれば、必ず幸せになれるんですよ」と、厳として言い切るのである。人びとの幸せを願う懸命な母の姿に、人間の強さと輝きを見た思いがした。
 麗が小学校の高学年の時、母が風邪をこじらせ、高熱を出した。氷囊の氷もすぐに溶けてしまうほどだった。一晩中、看病した。
 病床で、母は繰り返した。
 「私に、もしものことがあっても、絶対に学会から離れてはいけない。御本尊様だけは放してはいけない……」
 その言葉は、幼い娘の生命に、深く刻まれた。やがて健康を回復した母は、元気に学会活動に励み始めた。和裁の仕事も増え、生活は安定していった。功徳の体験は確信を育み、ますます信心を強盛にしていく。

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