人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 雌伏(3)|2017年3月27日

山本伸一は、世界を結び、確かな平和への道を開くために、各国の識者や大使らとも積極的に交流を図っていった。五月十九日には、親善交流のために、中日友好の船「明華」で、交流団の団長として来日した中日友好協会の廖承志会長と都内のホテルで会談した。
 語らいのなかで伸一は、いかなる立場になろうが、日中の平和・文化・教育の交流を推進し、両国の友好に、さらに尽力していきたいと決意を披瀝した。そして、万代にわたって崩れることのない友好のためには、民間次元の強いつながりが重要になると訴えた。
 また、廖会長は、伸一に、五度目となる訪中を要請したのである。
 二人は、第一次訪中以来、幾度となく対話を重ね、深い友情に結ばれてきた。廖会長は、この四年後の一九八三年(昭和五十八年)六月に他界する。伸一は、その翌年、廖家を弔問し、経普椿夫人、子息と、廖承志の尊き生涯を偲びつつ語り合った。
 二〇〇九年(平成二十一年)十月、中国・広州市にある仲愷農業工程学院から、伸一と妻の峯子に、それぞれ名誉教授の称号が贈られる。「仲愷」とは、孫文の盟友で、廖承志の父・廖仲愷のことである。同校の淵源となる仲愷農工学校は、彼と共に新中国の建設に生きた夫人の何香凝によって創立されている。
 さらに同校には、廖承志と伸一の研究センターがつくられ、二〇一〇年(同二十二年)十一月に開所式が行われた。
 伸一の植えた友誼の苗木は、二十一世紀の大空に大きく枝を広げていったのである。
 彼は、廖承志会長との会談に続いて、五月二十二日にはソ連のノーボスチ通信社の国際部長や論説委員、大使館関係者らと神奈川文化会館で語り合った。米ソ第二次戦略兵器制限交渉(SALTⅡ)や、アジア及び世界の平和・文化・教育の問題などをめぐって意見交換したのである。その席で伸一に、強い訪ソの要請が出されたのだ。
 恒久平和の実現を願い、懸命に努力し、行動していくことこそ、仏法者の責務である。

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新人間革命 雌伏(2)|2017年3月25日

山本伸一は、学会本部に行くことを、なるべく控えるようにしていた。
 会長になった十条潔たちに、思う存分、指揮を執ってほしかったし、自分が本部にいることによって、ついつい皆が頼ってしまうようになることを避けたかったのである。
 伸一の最大の願いは、後を託した首脳たちが、創価の師弟の大精神を受け継ぎ、すべて自分たちの力で学会の運営や会員の指導にあたり、広宣流布の使命と責任を果たしていくことであった。また、次代を担う青年たちの成長であった。
 彼は、深い祈りを捧げながら、「獅子の子落とし」の言い伝えを思い起こした。獅子は、子が生まれると深い谷底に突き落とし、生き抜いたものを育てるとの俗説がある。あえてわが子に、大成のために試練を与えることを意味するが、今、彼も、同じ思いで、後継の奮闘を見守っていたのである。
 週刊誌などのマスコミは、毎週のように伸一の会長辞任などを取り上げ、囂しかった。学会批判を繰り返してきた評論家らが登場し、学会は滅亡に向かうといった、邪推に基づく無責任な報道も続いていた。
 そのなかで彼は、神奈川文化会館で、立川文化会館で、静岡研修道場で、行く先々で学会員の姿を見ると声をかけ、激励を重ねていった。記念のカメラにも納まった。
 何があろうが、広宣流布の軌道を外さず、自ら定めたことを、日々、黙々と実行していく――まさに太陽の運行のごとき前進のなかにこそ、人生の栄光も広布の勝利もある。
 五月十一日、伸一は、立川文化会館で、日天、月天と対話する思いで、詩を詠んだ。
   
 西に 満々たる夕日
 東に 満月 煌々たり
 天空は 薄暮 爽やか
 この一瞬の静寂
 元初の生命の一幅の絵画
 我が境涯も又
 自在無礙に相似たり

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新人間革命 雌伏(1)|2017年3月24日

 さあ、対話をしよう!
 友の眼に秘められた
 哀しみ、苦しみを見すえ、
 ためらいの言葉に耳をそばだて、
 勇気を奮い起こして
 励ましの対話を始めよう!
 同苦の腕を広げ、
 弾む生命で、
 希望と正義の哲学を語ろう!
 ほとばしる情熱と
 金剛の確信をもって、
 忍耐強く、
 共感の調べを奏でよう!
   
 さあ、対話を続けよう!
 一個の人間に
 内在する力は無限だ!
 一人の発心は、
 友から友へと
 蘇生の波を広げ、
 やがて万波を呼び起こす。
 「一は万が母」(御書四九八ページ)と。
    
 われらは、
 対話をもって
 人びとの心田に幸福の種子を植え、
 この世の尊き使命を呼び覚ます。
 対話をもって
 心をつなぎ、世界を結び、
 難攻不落の
 恒久平和の城塞を築く。
 さあ、今日も、対話を進めよう!
   
 第三代会長を辞任し、名誉会長になった山本伸一は、一九七九年(昭和五十四年)五月三日の本部総会で、十条潔新会長のもと、新体制がスタートしたことを見届けると、世界広布の新しい雄飛のために行動を開始した。同志との励ましの対話に徹し、また、世界平和への流れを開くために、各国の大使や識者らとの語らいに努めた。
 対話の力こそが、時代を開く平和力となる。

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新人間革命 大山(68)|2017年3月23日

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漆黒の空が、次第に紫に変わり、うっすらと半島の稜線を浮かび上がらせる。やがて金の光が東の空に走り、海はキラキラと輝き、さわやかな五月の朝が明ける。
 五月五日、山本伸一は、神奈川文化会館から、夜明けの海を見ていた。この日は、「こどもの日」で国民の祝日であり、また、「創価学会後継者の日」である。
 伸一は、神奈川の幹部から、クルーザーを所有する地元の学会員の方が、横浜港周辺を案内したいと言ってくれていると聞き、三十分ほど、乗せてもらうことにした。船の名は「二十一世紀」号である。
 海から見た神奈川文化会館もまた、すばらしかった。この海は太平洋につながっているのだと思うと、二十一世紀の世界広布の大海原が見える気がした。彼の胸は躍った。
 伸一は、前日の四日には、神奈川県の功労者の代表と懇談し、この五日も、草創の向島支部、城東支部の代表からなる向島会、城東会のメンバーと語り合い、敢闘の労をねぎらった。功労者を中心とした伸一の激励の車輪は、既に勢いよく回転を開始していたのだ。
 彼は、できることなら、二十一世紀を担う後継の青年部、未来部の集いにも出席し、全精魂を注いで励ましたかった。また、神奈川文化会館の前にある山下公園には、連日、多くの学会員が集って来た。そうした同志と会合をもち、力の限り、讃えたかった。しかし、今、それは許されなかった。
 “ならば、未来、永遠にわたる創価の魂を、後継の弟子たちに形として残そう!”
 この日、彼は、広宣流布の師匠・戸田城聖の真正の弟子として、わが誓いを筆に託して、一気呵成に認めた。
 「正義」――その右下には、「われ一人正義の旗持つ也」と記した。
 “いよいよ本当の勝負だ! いかなる立場になろうが、私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で断固として勝利してみせる。正義とは、どこまでも広宣流布の大道を進み抜くことだ!” (この章終わり)

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新人間革命 大山(67)|2017年3月22日

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山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。
 横浜に到着したのは午後七時であり、既に夜の帳に包まれていた。神奈川文化会館の一室から海を眺めた。眼下に、係留・保存されている貨客船の氷川丸が見えた。竣工は一九三〇年(昭和五年)、学会創立の年である。
 学会は、以来、「七つの鐘」を打ち鳴らし、今また、大航海を開始するのだ。
 伸一は、ようやく一息つけた気がした。
 側近の幹部が、「今朝の新聞に先生のお名前が出ておりました」と教えてくれた。
 それは、「読売新聞」がアメリカのギャラップ世論調査所と提携して実施した日米両国の生活意識調査の結果で、日本国民が選んだ「最も尊敬する有名な日本人」の上位二十人の第六位に、伸一の名が挙がっていた。吉田茂野口英世二宮尊徳福沢諭吉、そして昭和天皇に続いて山本伸一となっている。
 「現存する民間人では第一位ですし、宗教界ではただ一人です」という。伸一は、この劇的な一日を振り返ると、不思議な気がした。さらに同志の大きな期待と懸命な応援のようにも感じた。
 三週間前、故・周恩来の夫人である鄧穎超に、会長辞任の意向を伝えた時、彼女が「人民の支持がある限り、辞めてはいけません」と語っていたことが思い返された。“人びとの期待に報いよ! 信義に報いよ! 戦い続けよ!”との励ましであったにちがいない。
 “いかなる立場になろうが、私は戦い続ける! いよいよわが本門の戦いが始まる!”
 彼は、ここでも筆を執り、「共戦」と認めた。
 そして、“弟子よ。われと共に起て!”と心で叫びながら、脇書に、こう記した。
 「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」

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新人間革命 大山(66)|2017年3月21日

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法主・日達をはじめ、僧たちを送った山本伸一は、別室に入ると、妻の峯子に、和紙と硯、墨、筆を用意してもらった。創価学会の歴史に大きな足跡を刻むであろうこの日の、わが誓いと、弟子たちへの思いを、書として認めておきたかったのである。
 既に揮毫の文字は決まっていた。
 墨を含んだ太い筆が、かすれるような音を立てて、勢いよく白い紙の上を走った。
 ――「大山」
 その下に、「わが友よ 嵐に不動の信心たれと祈りつつ」「五十四年五月三日 創大にて 式後記す也」と書いた。
 伸一は、恩師・戸田城聖の事業が窮地に追い込まれた一九五〇年(昭和二十五年)の一月、「富士に祈る」と題する詩を作った。
 詩の一節に、こうある。
 「世紀の 貪婪なる火宅の中に
  虚飾なく佇み 駁説に怖じぬ
  われ 遥かなる富士を讃う」
 その時、彼の心には、一身に降りかかる非難・中傷の嵐にも微動だにせず、広宣流布に生きようとする、恩師・戸田城聖の堂々たる雄姿と富士とが重なっていた。
 「大山」の揮毫には、伸一の魂の叫びが込められていた。
 “妙法は永遠不滅である。その妙法と共に、広宣流布に生き抜くわれらには、無限の希望がある。いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない。何を恐れる必要があろうか! 学会は、日蓮大聖人の仰せ通りに死身弘法の実践を貫き、忍辱の鎧を着て進んできた。創価の師弟は、この不動の信心によって、すべてを勝ち抜いてきたのだ”
 伸一は、さらに、筆を執った。
 ――「大桜」
 そして、下に脇書として記した。
 「わが友の功徳満開たれと祈りつつ」「五十四年五月三日 創大にて 合掌」
 “どんな厳しい試練にさらされようが、仏法の因果は厳然である。胸に創価の「大桜」をいだいて進むのだ”――伸一は念願した。

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新人間革命 大山(65)|2017年3月20日

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山本伸一のあいさつに与えられた時間は、十分にも満たなかった。
 これまで本部総会では、伸一から広宣流布の遠大な未来構想や希望の指針が示され、また、社会、世界の直面するテーマに対して解決の方途を示す提言が発表されることも少なくなかった。さらに、参加者と一対一で対話するような、ユーモアを交えた心和む話に、皆は時に安堵し、時に大笑いしながら、新しい前進への決意を固め合ってきた。しかし、そんな心の触れ合いもない、あまりにも形式的な総会になっていた。
 伸一のあいさつに続いて、法主・日達の特別講演があり、新理事長の森川一正、新会長の十条潔のあいさつと進んだ。
 十条は、これまで三代の会長が築いてきた盤石な基盤のうえに、安定と継続、そして着実な発展を図っていきたいと抱負を語った。
 総会は型通りに終わった。
 この時、狂ったように学会を誹謗し、信徒支配を狙っていた宗門の悪僧や、背後で暗躍した邪智のペテン師らは、“計画通りだ。これでよし!”と、ほくそ笑んでいたにちがいない。伸一には、妬みと欲望の虜となった、その滅びゆく実像がよく見えていた。
 彼が体育館を出て渡り廊下を歩いていると、幼子を背負った婦人など、広場にいた数人の人たちが伸一の姿に気づき、「先生! 先生!」と叫び、広場の手すりまで駆け寄って来た。本部総会の参加者ではない。一目でも会いたいと、外でずっと待っていたのであろう。その目には涙が光っていた。
 伸一は大きく手を振った。
 「ありがとう! お元気で!」
 一瞬の出会いであった。しかし、そこには何があっても変わらぬ、深い魂の結合があった。創価学会の真実の絆があった。
 “これから、こういう尊い方々を、本当に善良な仏子を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 私は、必ず守り抜いてみせる!”
 伸一は、会員厳護の決意を新たにした。

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新人間革命 大山(64)|2017年3月18日

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山本伸一は、日本の広宣流布の揺るぎない基盤をつくり、各国・地域に仏法の種子を下ろし、幸福の緑野を世界に広げてきた。
 学会の組織の布陣も、高等部、中等部、少年・少女部を誕生させ、広範な文化運動を推進するために、教育・国際・文芸の各部も設置した。さらに、全国各地に広布の法城として文化会館等を建設してきた。
 牧口常三郎戸田城聖の悲願であった創価一貫教育の学舎もつくり上げた。仏法の人間主義を基調にした平和・文化の花を咲かせようと、民主音楽協会東洋哲学研究所、富士美術館なども次々と創設。さらに、政治の分野にあっては、公明党も誕生させた。
 また、宗門の厳護を貫き、総本山に正本堂をはじめ、大客殿、大化城等々を発願主となって建立寄進したほか、全国各地に末寺を建立し、宗門の未曾有の興隆をもたらしてきたのである。
 これらの燦然と輝く学会の功績は、いかなる罵詈雑言や虚言の喧伝をもってしても、決して消し去ることはできない。伸一と共に生命を削り、力を尽くした全同志の魂に刻まれた、金剛不壊の誉れの歴史であるからだ。
 総会で伸一は、新会長の十条潔、新理事長の森川一正を紹介し、「創価学会という世界を、異体を同心として、継続、発展せしめていただきたいことを衷心よりお願い申し上げます」と念願。そして、「私は生涯、皆様を見守ってまいります」と決意を披瀝した。
 さらに、「私は仏法者であります」と力を込めて述べ、こう続けた。
 「そこで、私は執行部にもお願いいたしまして、できうれば、草創以来の長き幾星霜、共々に戦ってこられた方々、特に広宣流布の途上に亡くなられた方、功労者、病床に伏している方のお宅等に伺って、その労に報い、激励をさせていただく所存であります」
 いかに行動を制約されようが、広宣流布の戦いをやめることなど、断じてできない。また、絶対にあってはならない。広布の使命に生き切る人が仏法者なのだ。

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新人間革命 大山(63)|2017年3月17日

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山本伸一の落ち着いた力強い声が、場内に響いた。
 「私は、十九歳で信仰いたしました。以来、今日まで約三十年間、病弱であった私が入院一つせず、広宣流布のために戦ってくることができました!」
 そして、それこそが、御本尊の威光の証明であることを訴え、一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、第三代会長就任式の折、心に深く刻んだ「開目抄」の一節を拝した。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書二三二ページ)
 結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟はできている――日蓮大聖人の烈々たる死身弘法の決意の言である。伸一と同志は、この御本仏の仰せをわが誓いとして、末法広宣流布の茨の道を開いてきたのだ。
 その実践ゆえに、大聖人の正法正義の命脈は保たれ、日蓮仏法は、蘇生の光源として現代社会に燦然と輝きを放ったのである。
 伸一は力説した。
 「このお言葉は、生涯にわたって、私並びに私どもの、信心の確固たる決意として持続していかなければならないと思いますが、皆さんいかがでしょうか!」
 何があっても、信心だけは、大山のごとく不動でなければならない。彼は話を続けた。
 「戸田城聖先生逝いて二十一年。ここに創価学会創立四十九年――学会の第一期の目標である『七つの鐘』を打ち鳴らすことができました。これによって、牧口常三郎先生、戸田城聖先生の遺言は、皆様方の絶大なるお力を得て、ひとまず私の代としては、ことごとく遂行したと確信いたします。ありがとうございました!」
 会長就任十九周年にして、創価の同志の連帯は世界一千万の幸の花綵となり、仏法を基調とした平和、教育、文化の運動は、人間主義の大潮流を巻き起こしたのだ。それは、誰も想像しなかった、未曾有の「世界広布の時代」の到来を告げるものであった。

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新人間革命 大山(62)|2017年3月16日

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この日の総会には、いつもの学会の会合に見られる、あの弾けるような生命の躍動も歓喜もなかった。広がる青空とは裏腹に、暗鬱な雲が皆の心を覆っていた。
 運営にあたる幹部らは、僧たちを刺激するまいと、腫れ物に触るように、彼らの顔色に一喜一憂していた。
 開会前には、青年部の幹部から、山本伸一の入場や登壇の折に、声をかけたり、歓声をあげて拍手をしたりすることのないように徹底された。それを聞いた伸一は、修羅に怯えるかのような、その心根が悲しかった。
 伸一が、会場である体育館の壇上に姿を見せた。皆、大拍手で迎えたい気持ちを抑え、黙って熱い視線を彼に注いだ。
 「開会の辞」で幕を開けた総会は、「“七つの鐘”の総仕上げと未来への展望」、青年部と教学部の「代表抱負」と進んだ。
 どの登壇者も、伸一の第三代会長としての奮闘や事績に触れることを、あえて避けていた。後に、ある婦人は、この総会を振り返って、こう怒りをあらわにして語っていた。
 「山本先生は、十九年間、私たちのために走り抜いてこられた。どうして誰も、『今日の広宣流布の大発展は、山本先生のおかげです』と言えないんですか!」
 次いで「名誉会長あいさつ」となり、伸一が登壇した。ためらうような、まばらな拍手が起こった。参加者から見て壇上右側の大半を僧たちが占めている。“衣の権威”の監視下に置かれたような、重苦しい雰囲気が支配していた。しかし、伸一を見詰める参加者の目は真剣そのものであった。声に出して叫びたい思いを抑えに抑えている健気な同志の心が、彼には、びんびんと伝わってくる。
 “大丈夫だ! いよいよこれからだよ”と心で語りかけながら場内を見渡し、にっこりと微笑み、一礼した。そこには、いつもと変わらぬ伸一がいた。「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書一一九〇ページ)である。伸一は、今こそ、一人ひとりが師子のごとく、強くなってもらいたかった。

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