新人間革命に学ぶ

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 大山(64)|2017年3月18日

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山本伸一は、日本の広宣流布の揺るぎない基盤をつくり、各国・地域に仏法の種子を下ろし、幸福の緑野を世界に広げてきた。
 学会の組織の布陣も、高等部、中等部、少年・少女部を誕生させ、広範な文化運動を推進するために、教育・国際・文芸の各部も設置した。さらに、全国各地に広布の法城として文化会館等を建設してきた。
 牧口常三郎戸田城聖の悲願であった創価一貫教育の学舎もつくり上げた。仏法の人間主義を基調にした平和・文化の花を咲かせようと、民主音楽協会東洋哲学研究所、富士美術館なども次々と創設。さらに、政治の分野にあっては、公明党も誕生させた。
 また、宗門の厳護を貫き、総本山に正本堂をはじめ、大客殿、大化城等々を発願主となって建立寄進したほか、全国各地に末寺を建立し、宗門の未曾有の興隆をもたらしてきたのである。
 これらの燦然と輝く学会の功績は、いかなる罵詈雑言や虚言の喧伝をもってしても、決して消し去ることはできない。伸一と共に生命を削り、力を尽くした全同志の魂に刻まれた、金剛不壊の誉れの歴史であるからだ。
 総会で伸一は、新会長の十条潔、新理事長の森川一正を紹介し、「創価学会という世界を、異体を同心として、継続、発展せしめていただきたいことを衷心よりお願い申し上げます」と念願。そして、「私は生涯、皆様を見守ってまいります」と決意を披瀝した。
 さらに、「私は仏法者であります」と力を込めて述べ、こう続けた。
 「そこで、私は執行部にもお願いいたしまして、できうれば、草創以来の長き幾星霜、共々に戦ってこられた方々、特に広宣流布の途上に亡くなられた方、功労者、病床に伏している方のお宅等に伺って、その労に報い、激励をさせていただく所存であります」
 いかに行動を制約されようが、広宣流布の戦いをやめることなど、断じてできない。また、絶対にあってはならない。広布の使命に生き切る人が仏法者なのだ。

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新人間革命 大山(63)|2017年3月17日

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山本伸一の落ち着いた力強い声が、場内に響いた。
 「私は、十九歳で信仰いたしました。以来、今日まで約三十年間、病弱であった私が入院一つせず、広宣流布のために戦ってくることができました!」
 そして、それこそが、御本尊の威光の証明であることを訴え、一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、第三代会長就任式の折、心に深く刻んだ「開目抄」の一節を拝した。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書二三二ページ)
 結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟はできている――日蓮大聖人の烈々たる死身弘法の決意の言である。伸一と同志は、この御本仏の仰せをわが誓いとして、末法広宣流布の茨の道を開いてきたのだ。
 その実践ゆえに、大聖人の正法正義の命脈は保たれ、日蓮仏法は、蘇生の光源として現代社会に燦然と輝きを放ったのである。
 伸一は力説した。
 「このお言葉は、生涯にわたって、私並びに私どもの、信心の確固たる決意として持続していかなければならないと思いますが、皆さんいかがでしょうか!」
 何があっても、信心だけは、大山のごとく不動でなければならない。彼は話を続けた。
 「戸田城聖先生逝いて二十一年。ここに創価学会創立四十九年――学会の第一期の目標である『七つの鐘』を打ち鳴らすことができました。これによって、牧口常三郎先生、戸田城聖先生の遺言は、皆様方の絶大なるお力を得て、ひとまず私の代としては、ことごとく遂行したと確信いたします。ありがとうございました!」
 会長就任十九周年にして、創価の同志の連帯は世界一千万の幸の花綵となり、仏法を基調とした平和、教育、文化の運動は、人間主義の大潮流を巻き起こしたのだ。それは、誰も想像しなかった、未曾有の「世界広布の時代」の到来を告げるものであった。

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新人間革命 大山(62)|2017年3月16日

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この日の総会には、いつもの学会の会合に見られる、あの弾けるような生命の躍動も歓喜もなかった。広がる青空とは裏腹に、暗鬱な雲が皆の心を覆っていた。
 運営にあたる幹部らは、僧たちを刺激するまいと、腫れ物に触るように、彼らの顔色に一喜一憂していた。
 開会前には、青年部の幹部から、山本伸一の入場や登壇の折に、声をかけたり、歓声をあげて拍手をしたりすることのないように徹底された。それを聞いた伸一は、修羅に怯えるかのような、その心根が悲しかった。
 伸一が、会場である体育館の壇上に姿を見せた。皆、大拍手で迎えたい気持ちを抑え、黙って熱い視線を彼に注いだ。
 「開会の辞」で幕を開けた総会は、「“七つの鐘”の総仕上げと未来への展望」、青年部と教学部の「代表抱負」と進んだ。
 どの登壇者も、伸一の第三代会長としての奮闘や事績に触れることを、あえて避けていた。後に、ある婦人は、この総会を振り返って、こう怒りをあらわにして語っていた。
 「山本先生は、十九年間、私たちのために走り抜いてこられた。どうして誰も、『今日の広宣流布の大発展は、山本先生のおかげです』と言えないんですか!」
 次いで「名誉会長あいさつ」となり、伸一が登壇した。ためらうような、まばらな拍手が起こった。参加者から見て壇上右側の大半を僧たちが占めている。“衣の権威”の監視下に置かれたような、重苦しい雰囲気が支配していた。しかし、伸一を見詰める参加者の目は真剣そのものであった。声に出して叫びたい思いを抑えに抑えている健気な同志の心が、彼には、びんびんと伝わってくる。
 “大丈夫だ! いよいよこれからだよ”と心で語りかけながら場内を見渡し、にっこりと微笑み、一礼した。そこには、いつもと変わらぬ伸一がいた。「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書一一九〇ページ)である。伸一は、今こそ、一人ひとりが師子のごとく、強くなってもらいたかった。

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新人間革命 大山(61)|2017年3月15日

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山本伸一は、前年の一九七八年(昭和五十三年)七月三日、男子部歌「友よ起て」を作詞・作曲して、後継の青年たちに贈った。
  
 〽広布のロマンを 一筋に
  打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
  やがては誉れの 凱歌の世紀
  花に吹雪に 友よ起て
   
 その歌詞にあるように、「七つの鐘」は鳴り響き、今、学会は「凱歌の世紀」をめざして、新しい旅立ちの朝を迎えたのだ。
 五月三日――五月晴れの空のもと、「七つの鐘」の総仕上げを記念する第四十回創価学会本部総会が、東京・八王子市の創価大学体育館で行われた。参加者は皆、新出発の祝賀の本部総会であることはわかっていた。しかし、誰もが心のなかで、一抹の寂しさを拭いきれずにいた。“これから学会は、どうなってしまうのか”との思いも強かった。
 開会は、午後二時である。この総会には、法主の日達をはじめ、宗門僧の代表も出席することになっていた。伸一は彼らを迎えるために、午後一時半前から新会長の十条潔らと創価大学の玄関前に立った。やがてマイクロバス、乗用車が到着し、僧が降りてきた。
 「ようこそ、おこしくださいました!」
 伸一はモーニングに身を包み、丁重にお辞儀をし、僧たちを迎えた。しかし、多くはあいさつもせず、無表情に、傲然と通り過ぎていく。なかには、したり顔で一瞥し、冷ややかな笑いを浮かべる者さえいる。
 伸一の脳裏には、悪僧の冷酷な仕打ちに苦しんできた学会員の悲痛な顔が浮かんでは消えた。今回、自分が身を引くことで、宗門が言うように事態が収まるなら、それでよいと彼は思った。
 守るべきは誰か――健気な学会員である。最愛の同志である。尊き仏子たちである。
 そのために自分は盾になり、犠牲にもなろうと、彼は心を定めていたのである。
 決定した心には、勇気の太陽が昇る。

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新人間革命 大山(60)|2017年3月14日

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山本伸一は、しみじみと思うのであった。

 “戸田先生は、私という一人の真正の弟子を残した。全生命を注ぎ尽くして、仏法を、信心を教え、万般の学問を授け、将軍学を、人間学を伝授し、訓練に訓練を重ねてくださった。また、先生の事業が破綻し、烈風に立ち向かった、あの辛酸の日々を過ごしたことも、師子として私を鍛え上げるための、諸天の計らいであったのかもしれない。

 私も会長就任以来十九年、全精魂を傾けて後継の人材を、一陣、二陣、三陣、四陣……と育ててきた。しかし、その本格的な育成は、いよいよこれからだ。

 後を継ぐ第一陣ともいうべき首脳幹部たちは、嵐のなかに船出し、学会の全責任を担い、懸命に戦うなかで、真正の師子となってもらいたい。退路なき必死の闘争が覚悟を決めさせ、師子の魂を磨き上げるからだ。

 それに、今ならば、私も彼らを見守り、個人的に励まし、一人の同志としてアドバイスしていくこともできる。執行部を、後継の同志を、正行のように、討ち死になど、断じてさせるわけにはいかぬ!”

 そう考えると、すべては御仏意であると、伸一は強く確信することができた。

 “あとは、二十一世紀を託す若き師子たちの育成が、大事な仕事となる。一人ひとりが、いかなる時代の激動にも対応できる、知勇兼備の後継の逸材に育ってほしい”

 彼は、青年たちに、その思いを伝えるために、“大楠公”の歌のピアノ演奏をテープに収め、門下の代表に贈ろうと思った。

 早速、職員にテープレコーダーを用意してもらった。そして、初めに「わが愛し、信ずる君のために、また、二十一世紀への大活躍を、私は祈りながら、この一曲を贈ります」との言葉を録音し、ピアノに向かった。

 ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。

 “立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”と心で叫びながら――。

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新人間革命 大山(59)|2017年3月13日

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 一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。
  
       正成涙を打ち払い
       我子正行呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここ迄来れども
  とくとく帰れ故郷へ
  
 以来、二十八年余――伸一は今、静岡研修道場にあって、後継の人を残して決死の大戦に赴こうとする勇将の胸の内を、そして、わが師の思いを噛み締めていた。

 彼もまた、十条潔ら新執行部に、さらには後継の若き人材たちに、これからの学会を託して、新しき世界広宣流布へと旅立つことを思うと、あの時の戸田の覚悟が強く心に迫ってくるのである。

 伸一は、研修道場の白いピアノに向かった。指が鍵盤を走り、“大楠公”の曲を奏で始めた。
   
     父上いかにのたもうも 
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  此正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅
   
     いましをここより帰さんは
  わが私の為ならず
  己れ討死為さんには
  世は尊氏の儘ならん
  …………
   
 彼は心で恩師・戸田城聖に誓っていた。

 “正成も、父の遺志を継いだ正行も、足利方と戦い、敗れ、無念の最期を遂げましたが、私は負けません。必ず全同志を守り抜き、世界広宣流布の新舞台を開きます!”

 

 *小説『新・人間革命』文中の「青葉茂れる桜井の(大楠公)」(作詞=落合直文)の歌詞は、正規には本文中のとおりですが、学会のなかでは慣習的に、「いまし」は「汝(なんじ)」、「来(きつ)れ」は「来(きた)れ」、「わが私の」は「われ私の」と歌われています。

新人間革命 大山(58)|2017年3月11日

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 戸田城聖の目は、広宣流布の未来を見すえていた。その未来へ、創価の魂の水脈を流れ通わせるために、彼は、山本伸一という一人の弟子に、後継者として一切を託そうとしていたのである。

 伸一には、その師の気持ちが痛いほどわかった。戸田は、再確認するように語った。

 「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」

 伸一は、潤んだ瞳を上げた。

 「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」

 まさに背水の陣ともいうべき状況のなかでの、厳粛な師弟の対話であった。

 この時、伸一の脳裏に、湊川兵庫県神戸市)の戦いに赴く武将・楠木正成と長子・正行の父子が交わした別れの語らいが浮かんだ。

 一三三六年(延元元年・建武三年)、正成は、朝敵となった足利尊氏の上洛を防ぐために、湊川の戦場へと向かう。しかし、討つべき足利方の軍は大軍であり、敗北は必至であった。死を覚悟しての戦いである。

 正成は湊川での決戦を前にし、桜井(大阪府三島郡島本町)の地で正行を呼び、引き返すように告げる。だが、正行も、父と共に討ち死にする覚悟であり、帰ろうとはしない。正成は、涙ながらに、もしも二人が共に討ち死にしてしまえば、尊氏の天下となってしまうことを訴え、正行を説き伏せる。

 その情景を歌にしたのが、“大楠公”と呼ばれる「青葉茂れる桜井の」(作詞・落合直文)である。戸田が愛し、青年たちに、よく歌わせた歌である。正成は、正行に言う。

 「早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為」――この歌詞に戸田は、青年たちへの、“早く巣立ってほしい。広宣流布の大願に生き抜け!”との願いを託していたのである。