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新人間革命に学ぶ

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 大山(49)|2017年3月1日

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四月二十四日の夜更け、山本伸一は日記帳を開いた。この一日の出来事が、次々に頭に浮かび、万感の思いが込み上げてくる。
 “本来ならば、二十一世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。県長会の参加者も皆、沈痛な表情であった……”
 彼は、今日の日を永遠にとどめなければならないと、ペンを走らせた。
 日記を書き終えた時、“ともかく人生ドラマの第二幕が、今開いたのだ! 波瀾万丈の大勝利劇が、いよいよ始まるのだ!”と思った。そして、自分に言い聞かせた。
 “荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
 新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!”
 闘魂が生命の底から、沸々とたぎり立つのを覚えた。若き日から座右の銘としてきた一つの言葉が、彼の脳裏を貫いた。
 ――「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」
 この夜、各地で緊急の会合が開かれ、伸一の会長勇退と新体制の発足が伝えられた。
 関西では、登壇した幹部が、かつて戸田城聖が理事長を辞任した折、伸一が戸田に贈った和歌を読み上げ、声を大にして叫んだ。
 「『古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ』――この和歌のごとく、たとえ山本先生が会長を辞めても、関西の私たちの師匠は、永遠に山本先生です」
 すると皆が、「そうだ!」と拳を突き上げたのである。
 また、テレビ、ラジオは夜のニュースで、会長勇退の記者会見の様子を伝えた。
 学会員の衝撃は、あまりにも大きかった。
 しかし、同志の多くは自らを鼓舞した。
 “勇退は山本先生が決められたことだ。深い大きな意味があるにちがいない。今こそ広布に走り抜き、先生にご安心していただくのが真の弟子ではないか!”
 皆の心に、師は厳としていたのである。

新人間革命 大山(48)|2017年2月28日

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山本伸一聖教新聞社を出て、自宅に向かったのは、午後十時前のことであった。
 空は雲に覆われ、月も星も隠れていた。
 これで人生ドラマの第一幕は終わったと思うと、深い感慨が胸に込み上げてくる。
 すべては、広布と学会の未来を、僧俗和合を、愛するわが同志のことを考えて、自分で決断したことであった。彼は思った。
 “これからも、学会の前途には、幾たびとなく怒濤が押し寄せ、それを乗り越えて進んでいかなくてはならないであろう。私が一身に責任を負って辞任することで、いったんは収まるかもしれないが、問題は、宗門僧らの理不尽な圧力は、過去にもあったし、今後も繰り返されるであろうということだ。それは広宣流布を進めるうえで、学会の最重要の懸案となっていくにちがいない。
 学会の支配を企てる僧の動きや、退転・反逆の徒の暗躍は、広宣流布を破壊する第六天の魔王の所為であり、悪鬼入其身の姿である。信心の眼で、その本質を見破り、尊き仏子には指一本差させぬという炎のような闘魂をたぎらせて戦う勇者がいなければ、学会を守ることなど、とてもできない。広宣流布の道も、全く閉ざされてしまうにちがいない”
 未来を見つめる伸一の、憂慮は深かった。
 玄関で、妻の峯子が微笑みながら待っていた。家に入ると、彼女はお茶をついだ。
 「これで会長は終わったよ」
 伸一の言葉に、にっこりと頷いた。
 「長い間、ご苦労様でした。体を壊さず、健康でよかったです。これからは、より大勢の会員の方に会えますね。世界中の同志の皆さんのところへも行けます。自由が来ましたね。本当のあなたの仕事ができますね」
 心に光が差した思いがした。妻は、会長就任の日を「山本家の葬式」と思い定め、この十九年間、懸命に支え、共に戦ってくれた。いよいよ「一閻浮提広宣流布」への平和旅を開始しようと決意した伸一の心も、よく知っていた。彼は、深い感謝の心をもって、「戦友」という言葉を嚙み締めた。

新人間革命 大山(47)|2017年2月27日

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山本伸一は、記者団の質問に答えて、今後の自身の行動について語っていった。
 「学会としては、世界の平和をめざし、仏法を基調として、さらに幅広い平和運動、教育・文化運動等を展開していきます。私は、その活動に時間をあて、行動していきたいと考えています」
 伸一への質問は続いた。
 「会長交代によって、今後、学会と公明党の関係は変わりますか」
 記者たちの最大関心事は学会と政治との関係にあったようだ。伸一は微笑みながら、「それは、新会長に聞いてもらわないと。でも、これまでと同じでしょ?」と言って、隣の十条潔の顔をのぞき込んだ。
 十条は大きく頷いた。
 「やっぱり、同じですって」
 また、笑いが広がった。
 「これまで同様、学会が公明党の支援団体であることに変わりはないということです。公明党には、いちばん国民のために貢献していると言われる党に、さらに成長していっていただきたいというのが、私の願いです」
 彼は、すべての質問に、率直に答えた。
 午後八時前、記者会見は終わった。
 受付の女子職員が、心配そうな顔で伸一を見ていた。彼は、微笑を浮かべて言った。
 「大丈夫! 私は何も変わらないよ!」
 それから別室に移り、青年部幹部らと懇談した。彼は魂を注ぎ込む思いで訴えた。
 「私が、どんな状況に追い込まれようが、青年が本気になれば、未来は開かれていく。
 弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。
 しかし、師が身を引くと、それをいいことに、わがまま放題になり、学会精神を忘れ去る人もいる。戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。君たちは、断じてそうなってはならない。私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ! 皆が“伸一”になるんだ!」

新人間革命 大山(46)|2017年2月25日

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十条潔は、緊張した面持ちで新会長としての抱負を語った。
 「山本第三代会長の後を受けまして、新しい制度による出発となりました。これまでに山本会長は、学会の運営は皆で行っていけるように、十分に指導してくださいました。これからも、学会の進み方に変わりはありません。誠に大任ですが、決意を新たにし、この任を全うしていきたいと考えております。
 今後は二十一世紀をめざし、五年単位の展望で前進してまいります。特に最初の五年は人材の育成に力を注いでいく所存です。そして、二度と戦争を起こさせない、社会の安定した平和勢力に、学会を育てていきたいと思っております」
 そこに、山本伸一が到着した。
 彼は、記者たちに笑顔を向け、「大変にお疲れさまです」と言って礼をし、十条にも会釈して隣に座った。
 すぐに、「現在の心境と会長勇退の理由をお聞かせください」との質問が飛んだ。
 「大きな荷物を下ろしてホッとした気持ちです。ただし、新しい会長中心の体制、これからの前進を見守るという意味では、また新しい荷物を背負ったような気持ちもいたします。ゆっくり休ませてくれないんですよ」
 彼の言葉に、どっと笑いが起こった。どことなく重たかった空気が一変し、十条の顔にも笑みが広がった。伸一は、新体制の出発を明るいものにしたかったのである。
 ユーモアは暗雲を吹き払う。
 彼は、話を続けた。
 「既に説明もあったと思いますが、会長を辞任しようと思った最大の理由は、足かけ二十年という歳月を、一人で最高責任者をしていることは長すぎると判断したことです。以前から、後進に道を譲ることで、新しい活気に満ちた創造もなされると考えてきました。
 また、疲れもたまっています。しかし、私は五十一歳であり、今ならば、まだ皆を見守りながら、応援していくことができます」
 人生は、闘争の連続であるといえよう。

新人間革命 大山(45)|2017年2月24日

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県長会等のあとも、山本伸一は新宿文化会館にとどまり、彼の辞任にいちばん衝撃を受けている婦人部の代表と懇談して励ました。また、来客の予定があり、その応対にも時間を費やした。
 夜には、創価学会として記者会見を行うことになっていたが、既に新聞各紙は夕刊で、伸一が会長を勇退し、十条潔が新会長に就任することになると、大々的に報じた。
 それらの報道では、この日の「聖教新聞」に、伸一の所感「『七つの鐘』終了に当たって」が掲載されたことに触れ、それが「辞意」の表明であるなどとしていた。
  
 記者会見の会場である聖教新聞社には、夕刻から、次々と新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミ関係者が訪れ、午後六時過ぎには数十人の記者らでごった返していた。
 午後七時、新会長の十条と新理事長の森川一正、副会長の秋月英介・山道尚弥らが姿を現すと、いっせいにフラッシュが光り、カメラのシャッター音が響いた。
 伸一は、三十分ほど遅れて、会場に行くことにしていた。新会長の十条を前面に立てなければとの思いからであった。
 記者会見では、秋月が、本日の総務会で会長・山本伸一勇退の意向が受理されて辞任し、名誉会長となったと報告。そして、理事長であった十条が会長に、副会長の森川が理事長に就任したことが発表された。
 また、伸一の会長勇退については、「七つの鐘」の終了という学会にとって大きな歴史の区切りを迎え、新しい制度、機構も整い、人材もそろったので、会長職を辞して、平和・文化・教育の活動に力を注ぎたいとの希望が出されたことなどが伝えられた。
 マスコミ関係者の多くは、辞任の情報は耳にしていた。しかし、昨日まで、まだ先のことではないかと思っていたようだ。
 学会が未曾有の大発展を遂げたのは、常に未来を見すえて、先手、先手と、素早く手を打って前進してきたことにこそある。

 

新人間革命 大山(44)|2017年2月23日

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二十四日の総務会で制定された「創価学会会則」は、学会が宗教団体として、どのように宗教活動をしていくのか、また、どのように会員を教化育成していくのか、さらに、そのために組織をどのように運営していくのかなど、原則的な事項を定めたものである。つまり、学会が宗教団体として活動を進めていくうえでの基本的な規範といえよう。
 それまで学会は「創価学会規則」のほか、総務会規定、人事委員会規定など個別の事項について定めた規定、さらに創立以来培われてきた慣例等が運営の基本となってきた。
 この「会則」は、学会の飛躍的、重層的な発展と、「七つの鐘」終了にともなう新時代への前進に対応するため、それらを整理し、成文化してまとめたものである。
 「会則」は十五章からなり、会長及び理事長については、総務のなかから総務会が選出することが明記され、任期は五年と定められていた。(その後、改定=編集部注)
 なお、この日の総務会には、副会長の鮫島源治からも役職辞任の申し出があり、受理されている。
 県長会が終了し、正午ごろになると、「創価学会山本伸一会長が辞任へ」とのニュースがテレビ、ラジオで流れた。報道では、宗門の法華講総講頭も辞め、新会長には十条潔が就任し、伸一は名誉会長となる見込みであることなどが伝えられた。既に情報が流されていたのである。
 全国の学会員にとっては、まさに寝耳に水であった。“そんなことがあるわけがない。とんでもない誤報だ”と思う人もいれば、“本当なのだろうか”と、首をひねる人もいた。また、“なんで先生が会長を辞めなければならないのか!”と憤る人もいた。
 学会本部には、問い合わせや憤慨の電話が殺到した。電話口で泣きだす人もいた。交換台は、大わらわであった。
 海を進む船は、荒波にも揉まれる。疾風怒濤を越えてこそ、新天地へと至る。伸一は、ただ一人、船首に立って風に向かった。

新人間革命 大山(43)|2017年2月22日

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会場の中央にいた男性が立ち上がった。まだ三十代の東北方面の県長である。彼は、県長会の参加者に怒りをぶつけるかのように、声を張り上げて訴えた。
 「皆さんは、先生が辞任されるということを前提に話をしている。私は、おかしいと思う。そのこと自体が、納得できません!」
 沈黙が流れた。
 伸一の声が響いた。
 「辞任が大前提でいいじゃないか。私は、そう決めたんだ。これで新しい流れができ、学会員が守られるならば、いいじゃないか。
 声を荒らげるのではなく、学会は和気あいあいと、穏やかに、団結して進んでいくことだよ。私と同じ心であるならば、今こそ、同志を抱きかかえるようにして励まし、元気づけていくんだ。みんなが立ち上がり、みんなが私の分身として指揮を執るんだ!
 初代会長の牧口先生が獄死されても、戸田先生がその遺志を受け継いで一人立たれた。そして、会員七十五万世帯を達成し、学会は大飛躍した。その戸田先生が逝去された時、私は、日本の広宣流布を盤石にし、必ずや世界広布の流れを開こうと心に誓った。そうして今、大聖人の仏法は世界に広がった。
 物事には、必ず区切りがあり、終わりがある。一つの終わりは、新しい始まりだ。その新出発に必要なのは、断固たる決意だ。誓いの真っ赤な炎だ。立つんだよ。皆が後継の師子として立つんだ。いいね。頼んだよ」
 県長会は、涙のなかで幕を閉じた。
 何があろうと、皆の心に峻厳な創価の師弟の精神が脈動している限り、新しき道が開かれ、広宣流布は伸展していくのだ。
 引き続き、午後には総務会が開かれた。
 この席上、伸一の会長辞任の意向が伝えられ、受理された。さらに総務会では、懸案であった「創価学会会則」の制定を審議し、採択。これに基づき、新会長に十条潔が、新理事長に森川一正が選任され、伸一は名誉会長に就任した。それは、伸一にとって、壮大な人生ドラマの新章節の開幕であった。