人革速報

新人間革命での池田先生のご指導に学ぶブログです。

新人間革命 大山(42)|2017年2月21日

f:id:akkai005:20170225151746j:plain

山本伸一は、力強い口調で語り始めた。
 「これからは、新会長を中心に、みんなの力で、新しい学会を創っていくんだ。私は、じっと見守っています。悲しむことなんか、何もないよ。壮大な船出なんだから」
 会場から声があがった。
 「先生! 辞めないでください!」
 すすり泣きがもれた。それは次第に大きくなっていった。号泣する人もいた。
 一人の壮年が立ち上がって尋ねた。
 「今後、先生は、どうなるのでしょうか」
 「私は、私のままだ。何も変わらないよ。どんな立場になろうが、地涌の使命に生きる一人の人間として戦うだけだ。広宣流布に一身を捧げられた戸田先生の弟子だもの」
 青年の幹部が、自らの思いを確認するように質問した。
 「会長を辞められても、先生は、私たちの師匠ですよね」
 「原理は、これまでに、すべて教えてきたじゃないか!
 青年は、こんなことでセンチメンタルになってはいけない。皆に、『さあ、新しい時代ですよ。頑張りましょう』と言って、率先して励ましていくんだ。恐れるな!」
 次々に質問の手があがった。
 「県長会には出席していただけますか」
 壮年の質問に伸一は答えた。
 「新会長を中心に、みんなでやっていくんだ。いつまでも私を頼っていてはいけない。
 これまで私は、全力で指導し、皆の育成にあたってきた。すべてを教え、伝えてきた。卒業のない学校なんかない」
 「各県の指導には回っていただけるんでしょうか。ぜひ、わが県に来てください」
 涙を浮かべながら、婦人が言った。
 「ありがとう。でも、今までに何度となく各県を回ってきたじゃないか。これからは、平和のために、もっと世界を回りたい。いつ戦争になるかわからない国もある。できる限りのことをしておきたいんだよ」
 平和への闘魂がほとばしる言葉であった。

 

 

 

新人間革命 大山(41)|2017年2月20日

f:id:akkai005:20170220223555j:plain

県長会のメンバーは、十条潔の説明で、山本伸一が会長辞任を決意した理由はわかったが、心の整理がつかなかった。
 十条は話を続けた。
 「先生は、この際、創価学会の会長だけでなく、法華講総講頭の辞任も宗門に申し出られました。こちらの方は、宗門との間に生じた問題の一切の責任を負われてのことです。
 先生が会長を辞められるというと、どうしても、私たちは悲しみが先に立ってしまう。しかし、大切なことは、先生の決断を、その心を、しっかりと受けとめ、未来に向かい、明るくスタートすることではないかと思う。
 力のない私たちではあるが、これから力を合わせて、『先生。ご安心ください』と言える創価学会をつくることが、弟子の道ではないだろうか!
 なお、今後の流れとしては、先生の勇退のお話を受けて、本日、午後から総務会を開催し、勇退が受理されたあと、記者会見を開き、正式発表となる予定であります」
 彼の話は終わった。拍手が起こることはなかった。婦人の多くは、目を赤く腫らしていた。虚ろな目で天井を見上げる壮年もいた。怒りのこもった目で一点を凝視し、ぎゅっと唇を嚙み締める青年幹部もいた。
 その時、伸一が会場に姿を現した。
 「先生!」
 いっせいに声があがった。
 彼は、悠然と歩みを運びながら、大きな声で言った。
 「ドラマだ! 面白いじゃないか! 広宣流布は、波瀾万丈の戦いだ」
 皆と一緒に題目を三唱し、テーブルを前にして椅子に座ると、参加者の顔に視線を注いだ。皆、固唾をのんで、伸一の言葉を待った。
 「既に話があった通りです。何も心配はいりません。私は、私の立場で戦い続けます。広宣流布の戦いに終わりなどない。私は、戸田先生の弟子なんだから!」
 彼は、烈風に勇み立つ師子であった。創価の師弟の誇りは、勇気となって燃え輝く。

新人間革命 大山(40)|2017年2月18日

 

f:id:akkai005:20170220223551j:plain

山本伸一の会長辞任は、あまりにも突然の発表であり、県長会参加者は戸惑いを隠せなかった。皆、“山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った。だから、十条潔から“勇退”と聞かされても、納得しかねるのだ。
 宗門との問題が、会長辞任の引き金になったことは紛れもない事実である。しかし、伸一には、未来への布石のためという強い思いがあった。
 十条の額には汗が滲んでいた。彼は、皆の表情から、まだ釈然としていないことを感じ取ると、一段と大きな声で、「山本先生は、ご自身が勇退される理由について、次のように語っておられます」と言い、伸一の話を記したメモを読み上げた。
 「第一の理由――十九年という長い会長在任期間のため、体の限界も感じている。したがって学会の恒久的な安定を考え、まだ自分が健康でいる間にバトンタッチしたい。牧口・戸田門下生も重鎮としており、青年の人材も陸続と育っている今こそ好機である。
 第二の理由――一九七〇年(昭和四十五年)以来の懸案としてきた、社会と時代の要請に応える学会の制度・機構の改革も着々と具体化した。それを踏まえた会則も、このほど制定される運びとなった。次代へ向け、協議し合って進みゆく体制も整った。会の運営を安心して託せる展望ができた。
 第三の理由――近年、仏法を基調とした平和と文化・教育の推進に力を注いできた。この活動は、今後、日本、世界のために、さらに推進し、道を開いていかなくてはならないと感じている。また、一緒に歴史を創り、活躍してくださった全国の功労者宅への訪問や、多くの執筆等も進めていきたい。それには、どうしても時間を必要とする。
 以上が、山本先生の会長勇退の理由です」
 人も、社会も、大自然も、すべては変化する。その変化を、大いなる前進、向上の跳躍台とし、希望の挑戦を開始していく力が信心であり、創価の精神である。

新人間革命 大山(39)|2017年2月17日

f:id:akkai005:20170217143343j:plain

未来を展望する時、社会も、学会も、ますます多様化していくにちがいない。したがって、山本伸一は、これまで以上に、さまざまな意見を汲み上げ、合議による集団指導体制によって学会を牽引していくべきであると考えていた。もちろん会長はその要となるが、執行部が、しっかりとスクラムを組み、力を合わせ進んでいくことを構想していたのだ。
 また、彼の組織像は、全同志が会長の自覚に立って、互いに団結し合い、活動を推進していくというものであった。
 理事長の十条潔は話を続けた。
 「山本先生は、ご自分でなくとも、会長職が務まるように、制度的にも、さまざまな手を打たれてきたのであります。
 先生は、以前から、私たちに、よく、こう言われておりました。
 『私がいる間はよいが、私がいなくなったら、学会は大変なことになるだろう。だから今のうちに手を打っておきたい。いつまでも私が会長をやるのではなく、近い将来、会長を交代し、次の会長を見守り、育てていかなければならない』
 また、『君たちは、目先のことしか考えないが、私は未来を見すえて、次の手を打っているんだ』とも言われております。
 その先生が、今回、『七つの鐘』の終了という歴史の区切りを見極められ、会長辞任を表明されたのであります」
 この瞬間、誰もが息をのんだ。耳を疑う人もいた。愕然とした顔で十条を見つめる人もいれば、目に涙を浮かべる人もいた。
 十条も万感の思いが込み上げ、胸が詰まったが、自らを励まし、言葉をついだ。
 「先生は、『次の創価学会の安定と継続と発展のために、新しい体制と人事で出発すべきである』と言われ、熟慮の末に会長勇退を決意されたのであります」
 弟子のために道を開くのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延ばしていってこそ、真の弟子なのである。この広布の継承のなかに真実の師弟がある。

新人間革命 大山(38)|2017年2月16日

f:id:akkai005:20170217143733j:plain

四月二十四日午前十時、東京・新宿文化会館で県長会が開催された。同会館は、信濃町の学会本部、聖教新聞社からも、徒歩十分ほどのところにある。統一地方選挙の支援活動を大勝利で終え、全国から集ってきた参加者の表情は晴れやかであった。
 まだ、会場に山本伸一の姿はなかったが、開会を告げる司会の声が響いた。
 冒頭、理事長の十条潔が登壇した。五月三日を前にした新出発の県長会である。しかし、彼の顔には、笑みも精彩もなかった。
 十条は「七つの鐘」の淵源を語り始めた。
 「山本先生は、戸田先生が逝去され、皆が悲しみに沈んでいた一九五八年(昭和三十三年)五月三日の本部総会で、『七つの鐘』の構想を語ってくださいました。かつて戸田先生が、『学会は創立以来、七年ごとに大きな前進の節を刻んできた』と話されたことを確認されて、この年が、『第五の鐘』を鳴らす時であると訴えられたのであります。
 それによって私たちは悲しみを乗り越え、『第七の鐘』が鳴り終わる一九七九年(同五十四年)を目標に、未来に希望を仰ぎ見ながら、新しい出発をいたしました。
 今、その『七つの鐘』が、いよいよ鳴り終わる時を迎えようとしているのであります。今後は、明一九八〇年(同五十五年)から五年ごとのリズムで広宣流布の歩みを進め、さらに二十一世紀から、再び新しい『七つの鐘』を鳴らし、前進していく構想を、先生は既に発表してくださっております。
 山本先生は、会長就任以来、広宣流布の流れを渓流から大河へ、大河から大海へと、大きく発展させながら、時代に即応できるよう、さまざまな改革に着手してこられました。運営面での民主的な下意上達の組織づくりをされ、合議制も深く根差してまいりました。七四年(同四十九年)には代表役員を会長から理事長にするよう推進されました」
 伸一は、未来のために新しい体制づくりを進めてきた。時代即応の適切な布石がなされてこそ、創価学会の永遠の栄えがあるからだ。

新人間革命 大山(37)|2017年2月15日

f:id:akkai005:20170217143339j:plain

偉業は、継続のなかにある。真の大業は、何代もの後継の人があってこそ、成就するものだ。
 山本伸一は、さらに所感で述べていった。
 「ここで大事なことは、広宣流布は、不断の永続革命であるがゆえに、後に続く人びとに、どのように、この松明を継承させていくかということであります。一つの完結は、次への新しい船出であります。一つの歴史の区切りは、今再びの新たなる壮大な歴史への展開となっていかねばなりません。
 私は、二十一世紀への大いなる道を開くために、また皆様方の安穏と幸福のために、さらにお子様たちが、正法正義を受け継ぎ、永遠に繁栄していくために、その流れをどうつくりゆくか、ということに、日々月々に煩悶し思索し続けてまいりました。これが時代とともに歩みゆく、私の責任であったからであります。
 そして今ここに、化儀の広宣流布の歩みは、渓流から大河に、さらに大河から大海へと新しい流れをつくるにいたりました」
 続いて、この大河の流れを安定、恒久ならしめなければならないことを痛感しているとの心情を披瀝。広宣流布は「大地を的とするなるべし」(御書一三六〇ページ)との日蓮大聖人の御金言を深く深く心に刻み、たゆまざる信行学の前進を再び誓い合っていきたいと強く訴え、結びとしたのである。
 
 伸一のこの所感「『七つの鐘』終了に当たって」が掲載された「聖教新聞」を見た学会員は、同志に対する伸一の深い感謝の心と新出発の気概を感じ、新たな決意に燃えた。
 この日に会長辞任が発表されるなど、誰も予想だにしなかったのである。
 実は、学会員は、大きな喜びに包まれ、この朝を迎えたのだ。前々日の二十二日、第九回統一地方選挙を締めくくる東京特別区議選、一般市議選、町村議選などの投票が行われ、二十三日夕刻には、学会が支援した公明党の大勝利が確定したのである。

 

 

 

 

 

新人間革命 大山(36)|2017年2月14日

f:id:akkai005:20170214091640j:plain

新人間革命 大山36

山本伸一は、人類の危機が現実化しつつあるなかで、地涌の菩薩の連帯は世界九十数カ国に広がり、日蓮仏法が唯一の希望となっていることに言及し、未来への展望に触れた。

 「いまだ世界にわたる平和と文化の実現は、緒についたばかりの段階でありますが、この地球上には、確実にその種子は植えられ、芽をふいております。これについては、私も今まで努力を積み重ねてまいりました。しかし、本格的に取り組むのはこれからであり、信仰者としての私どものなすべき大きな未来図として描いていかねばならない。
 平和、文化の魂は宗教であり、その潮流の力は、国家を超えた人間の力であります。古来、文化とは宗教が生命であった。
 平和もまた、人間の心の砦のなかに築いていくしかない。一つの基盤が整った時は、恒久的な文化、平和へと歴史の流れを私どもの力でつくっていくしかないのであります」
 宗教者が、宗教という枠のなかだけにとどまり、現実世界の危機に目をふさぐなら、その宗教は無用の長物といってよい。宗教は社会建設の力である。仏法者の使命は、人類の幸福と世界の平和の実現にある。ゆえに日蓮大聖人は、「立正安国」を叫ばれたのだ。
 文豪トルストイも、こう記している。
 「宗教は、過去に於けると同様に、人間社会の主要な原動力であり、心臓であることに変わりない」(注)
 伸一は続けた。
 「ともあれ、ここに広布の山並みが、はるかに展望し得る一つの歴史を築くことができました。既に広布への人材の陣列も盤石となり、あとには陸続と二十一世紀に躍り出る若人が続いている。まことに頼もしい限りであります。私どもは、この日、この時を待ちに待った。これこそ、ありとあらゆる分野、立場を超えて結ばれた信心の絆の勝利であり、人間の凱歌であります」
 それは、彼の勝利宣言でもあった。
 創価学会が、わが同志が成し遂げた、厳たる広宣流布の事実は永遠不滅である。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「宗教とは何ぞや並びに其の本質如何」(『トルストイ全集18』所収)深見尚行訳、岩波書店=現代表記に改めた。

小説「新・人間革命」第30巻 大山の章 新年号からスタート

世界広布誓願の11・18創立記念勤行会の席上、小説「新・人間革命」第30巻、大山の章が新年号、つまり、聖教新聞2017年(平成29年)1月号からスタートすることが発表されました(聖教新聞 2016年11月19日付)。

大山の章を読み進めるに連れ、創価大学で認めた一書「大山」の脇書、「わが友よ 嵐に不動乃信心たれと祈りつつ」の真意と池田先生の御境涯が明らかになって参ります・・。

わが友よ 嵐に不動乃信心たれ

初代会長・牧口先生の追善法要の意義込め
小説「新・人間革命」第30巻 大山の章 新年号からスタート
原田会長を中心に、厳粛に行われた創立記念の勤行会。永遠の師匠である創価の三代会長の死身弘法に連なり、世界広布のさらなる飛翔を誓った(広宣流布大誓堂で)

栄光の創価学会創立86周年を記念する勤行会が、創立記念日の18日、初代会長・牧口常三郎先生の殉教72年に当たる祥月命日の追善法要の意義を込めて、東京・新宿区の総本部で行われた。

池田大作先生は、創価学会恩師記念会館で厳粛に勤行・唱題し、先師の偉大な生涯をしのんだ。

広宣流布大誓堂で行われた勤行会には原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表らと出席。勤行・唱題し、世界広宣流布の大誓願へ異体同心の前進を約し合った。

これには池田先生がメッセージを贈り、全国、全世界の創価家族と「創立86周年」の大勝利の朝を迎えたことを喜ぶとともに、とりわけ婦人部の奮闘を心からたたえた。

そして牧口先生、戸田城聖先生のお心のままに、「大法弘通慈折広宣流布」を目指し、共々に「創価の仏の大行進」を開始しようと呼び掛けた。

ここで池田先生は、連載中の小説『新・人間革命』の「源流」の章に続いて、明年の本紙新年号から、いよいよ第30巻の連載を開始することを発表。その第1章は「大山」の章となると紹介した。

第3代会長を辞任した直後の1979年(昭和54年)5月3日、創価大学で認めた一書が「大山」であり、その脇書には「わが友よ 嵐に不動乃信心たれと祈りつつ」と記されている。
池田先生は、この事実に言及しつつ、「嵐に不動の信心」で創価の師弟は勝ち抜いてきたと強調。これからも、「大山」のごとく威風堂々と、一切を勝ち切っていきたいと述べた。

新人間革命 大山(35)|2017年2月11日

f:id:akkai005:20170211132351j:plain

山本伸一は、四月二十四日付の「聖教新聞」一面に所感「『七つの鐘』終了に当たって」と題する一文を発表した。
 これは、学会の首脳幹部と検討して、決まったことであった。
 彼は、学会が目標としてきた「七つの鐘」の終了にあたり、苦楽を分かち合って戦ってくれた同志へ、感謝を伝えるとともに、新しい出発への心の準備を促したかった。
 「私どもは、初代牧口会長以来、広宣流布の大道に向かって、七年ごとのリズムを合言葉にして進んでまいりました。ここに来る五十四年(一九七九年)五月三日を中心に、ついに『七つの鐘』の総仕上げともいうべき記念の日を迎えることができました」
 そして、慈折広布の聖業に不屈の奮闘を重ねてくれた同志に、深甚の敬意を表した。
 「戸田前会長逝いて二十一年、私もおかげさまで会長就任から満十九年、あしかけ二十年に及ぶ長き歳月を、皆様方と共に苦難と栄光の歴史を綴り、今日にいたりました。
 浅学非才な私を、陰に陽に、守り支えてくださり、広布のために走りに走ってくださった妙法の勇者の皆様方に、重ねてここに謹んで感謝いたします。この貴重な足跡は永遠の生命の宝となることを確信していただきたいのであります。
 もとより、私どもは、末法の凡夫の集いであります。幾多の試行錯誤もありました。前進もあり、後退もありました。しかし、常に波浪を乗り越え、上げ潮をつくり、その潮流を、立正安国と人類の幸福と平和のために安定ならしめる努力を傾けてきたのであります」
 伸一には、断固たる確信があった。
 “日蓮大聖人の仰せ通りに、死身弘法の実践をもって広宣流布の道を切り開いてきたのは誰か――それは創価学会である。私と共に身を粉にして戦ってくれた同志である!
 まさに、創価の旗のもとに地涌の菩薩が雲集し、大聖人の御遺命たる『末法広宣流布』を現実のものとしてきたのだ。学会なくば、大聖人の言説も虚妄となるのだ!”

新人間革命 大山(34)|2017年2月10日

f:id:akkai005:20170210103913j:plain

四月二十二日、山本伸一は総本山に足を運んだ。日達法主と面会するためである。
 うららかな午後であった。澄んだ空に、富士が堂々とそびえていた。雪を被った頂の近くに雲が浮かんでいる。山頂は、風雪なのかもしれない。しかし、微動だにせぬ富士の雄姿に、伸一は心が鼓舞される思いがした。
 彼にとって法華講総講頭の辞任も、学会の会長の辞任も、もはや未来のための積極的な選択となっていた。
 もちろん辞任は、宗門の若手僧らの理不尽な学会攻撃に終止符を打ち、大切な学会員を守るためであった。しかし、「七つの鐘」が鳴り終わる今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の到来であると、彼は感じていた。また、これまで十分な時間が取れず、やり残してきたこともたくさんあった。世界の平和のための宗教間対話もその一つであったし、功労者宅の家庭訪問など、同志の激励にも奔走したかった。
 伸一は日達と対面すると、既に意向を伝えていた法華講総講頭の辞任を、正式に申し出た。そして、二十六日には辞表を提出する所存であることを告げた。日達からは、「総講頭の辞表を提出される折には、名誉総講頭の辞令を差し上げたい」との話があった。
 さらに伸一は、十九年の長きにわたって創価学会の会長を務めてきたが、学会がめざしてきた「七つの鐘」の終了にあたり、会長も辞任するつもりであることを述べた。
 彼は、新しい体制になっても、平和、文化、教育の運動に力を入れながら、皆を見守っていくこともできると考えていた。
 学会は、民衆の幸福のため、世界の平和のために出現した広宣流布の団体である。ゆえに、その広布の歩みに停滞を招くことは、断じて許されない。彼は、自分は自分の立場で新しい戦いを起こす決意を固めるとともに、創価の新しき前進を祈りに祈り抜いていた。
 “必死の一人がいてこそ道は開かれる。わが門下よ、師子と立て! いよいよ、まことの時が来たのだ”と、心で叫びながら――。